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2012年07月10日

【俳優養成・演劇教育】俳優指導者アソシエーション「『シリーズ 俳優指導者のすべて』第3回“俳優養成の現状と未来”」06/23芸能花伝舎1ー3

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緑茶と和菓子をお供に

 当サイトでご紹介していた俳優指導者向けのセミナー(全3回)の最終回を拝聴しました(紹介エントリー⇒)。朝11時から夕方17時まで(途中、昼食休憩あり)、みっちりの座学および意見交換です。

 2004年にロシア・マールイ劇場『かもめ』の舞台中継をNHKで見て以来、私は「舞台上で役人物として生きている俳優が観たい!」と思い続けてきました。その傾向は強くなるばかりで、今は俳優の心身にコントロールできていない嘘が見えると、どんなに演出が良くても劇世界に入ることが難しいという、融通の効かない観客になってきています。

 そんな私のわがままを叶えてくれるのは、俳優指導者の先生方とその教育を受けたプロの俳優ではないかと気づいてから数年が経ちました。ただ、日本では“俳優指導者”の定義が確立されているわけではなく、俳優を教えるプロの指導者のほかに、プロの演出家と俳優、そして学校での演劇教育や、一般市民向けの創作演劇を教えるワークショップリーダーなども、俳優指導者であるとされているのが現状です。

 今回のセミナーはそれらをふまえた上で具体的な問題点や課題を洗い出し、将来の展望を参加者全員で共有するものだったと思います。以下のレポートでは、私がメモしたことを7点に分割してまとめました。参考文献もいくつかご紹介していますので、ご興味のあるところからお読みいただけたらと思います。
 ※数か所ですが、⇒⇒⇒以下で私の感想および意見を述べています。最後にまとめの感想も書きました。

 俳優指導者アソシエーションのメンバー(参加者・敬称略:池内美奈子、川南恵、石本興司、鍬田かおる)以外の参加者は、市民参加演劇のワークショップを担当する俳優、高校で演劇の時間を受け持つ俳優、全国で学生向けワークショップの指導をしている俳優、劇場の企画で一般市民向けのワークショップの担当をしている俳優、海外留学経験を生かして劇団でワークショップをしている俳優、俳優・声優・お笑い芸人を育成する専門学校の講師だった演出家、稽古場翻訳もする制作者など。やはり職業は多岐に渡っています。


【1.俳優指導者のおおまかな内訳】

〈1〉俳優養成を専門にしている指導者(実演家を育てる意識がある)
〈2〉小学校・中学校・高校・大学の演劇教育の講師(教育現場で演劇を教える、演劇的手法を応用して教える)
〈3〉一般向けのワークショップ・リーダー、ファシリテーター(演劇的手法を使って、社会に貢献する)

 鍬田:俳優が片手間に、自分の体験や知識だけをもとに俳優を教えるのは、本当の意味でのプロの俳優養成とは違う。どのような実演家を育てるのかという目的意識とその目的達成のための手段に専門性があるのが俳優指導者。職業意識を持つことが大事。〈1〉〈2〉〈3〉は別の職業で、3つすべてが大事。演劇に比べて音楽とダンスはそこがちゃんとしている。


【2.教育の歴史】

■日本の教育のあり方は何度も変化してきた

 川南:俳優養成は教育です。俳優の専門である前に、その下地として当然「学校教育」があるはず。また、人生のどの時期に、どのような教育を受けたのかが、人物形成に与える影響は大きい。私たち俳優指導者は、指導対象者をより深く理解するためにも背景にある日本の学校教育制度について知る必要がある。日本の教育行政担当機関である文部科学省の教育過程(カリキュラム)=学習指導要領 は戦後、何度も変わってきた。以下、時期に関しては小学校での実施開始の年を記載している。(概ね中学校での実施は翌年、高等学校では翌々年)

・1945年 終戦
・1960年 安保闘争
・1971年 文部省 学習指導要領① 
  →受験戦争、つめこみ教育
・1980年 文部省 学習指導要領② 
  →学習量を少し削減
・1992年 文部省 学習指導要領③ 
  →学習量を少し削減。高校進学率90%・大学進学率50%
・2002年 文科省 学習指導要領④ 
  →「ゆとり教育」。週休2日制・学習量3割削減・総合学習の時間の誕生。
  →塾の発達。貧富の差が学力の差としてあらわれる。
・2011年 文科省 学習指導要領⑤
  →授業時数増加

 川南:一般的に1987年生まれがゆとり第一世代と呼ばれている。今の大学生はゆとり第二世代。俳優指導者は自分が受けてきた教育と、生徒になる俳優が受けてきた教育が「違う」ことを知っておくべきだ。今の時代は「複雑」で「多様」で「速い」というのが特徴。
 参加者S:1987年生まれの生徒から、授業中にトイレに行く子が増えた。ゆとり世代の生徒たちには自由な空気がある。

 ★参考文献 土井隆義著『キャラ化する/される子どもたち』

 川南:最近の若いひとたちのなかには「この人の前ではこのキャラ、あの人の前ではあのキャラ」と自分を変える傾向がある。子どもたちは小さく分かれたグループのなかで日々を営み、そこでの「キャラ」で対応する。異年齢や多様な他者との交流経験が少なく、自己の統一性も脆弱。指導者はそのことをふまえておくべき。


【3.学校での演劇教育】

■学校でのワークショップの増加・学校内の文化を理解すること

 川南:昔は少なかったが、今は学校教育の場でのワークショップは増加している。また、ワークショップを指導する人も増えたので、演劇人の中でその仕事は激戦になりつつある。だから能力や実績がより重要視されるだろう。
 教育現場に入っていく演劇人が気をつけるべきことは、学校内の文化を理解すること。学校には学校特有の文化がある。そこに「演劇の文化」をどうアダプテーションしていくかのプランやセットアップは十分に練るべき。また公立や私立など学校ごとにも異なる文化があることを理解しておく必要がある。

 石本:パートナーとしての学校教師が抱えている仕事の内容と量をある程度知っておくことが、我々講師にとって大切。

 鍬田:小学生に演劇的手法に触れさせて、学校で演劇をつかった教育をほどこすのも方法の1つだけれど、優れた作品世界に触れさせること、つまり上演によって演劇を体験してもらうことも大事。それは私たちが「今」できることでもある。付け加えますが、「観客が観たがる作品をつくること」と「観るに値する作品をつくること」は別です。

■高校の演劇学科で演劇史を教える場合

 参加者K:高校の演劇学科で演劇史を教えることになった。普通の歴史の授業と同じではなく、「歴史とは何か」から教えたい。

 鍬田:1つの時代を採り上げて、その時期の複数の国の演劇を紹介する方法、または1つの国を採り上げて、時代 ごとの演劇を紹介する方法などがある。でもそれは誰でも考え付くし、普通の人にもできること。その俳優指導者にしかできない方法を提示できる。たとえば 「歴史は人がつくる」ということを身体を使って教えられる。Kさんは俳優として活躍中で、これまでもいろいろな劇世界を通じて歴史を体験し、Kさん自身にも歴史があるのだから・・・。

 ⇒⇒⇒ここで鍬田さんが提案された方法がすごく面白かったんです!私が学校で、こんな方法で歴史を教えてもらえたなら、もっと歴史に興味を持てたかもしれないと思いました。

 池内:“自分”を使って考えることになるのがいい。
 石本:歴史を内側(個人)から見るという視点は珍しい。
 鍬田:生徒だけでなく先生も、お互いに楽しい時間を提供できる。その時、生徒が(この授業の意図が何だったのかが) わからなくても、3年後でも10年後でもいいと思うこと。それが種をまくということ。また、「歴史を教えることで、何を教えたいのか」という、演劇人とし ての課題も考える機会になる。

 石本:演劇をつかった教育は、多くの学校教育とは異なる『学びのスタイル』を持っている。自分も高校生に演劇を教えているが、この異なる学びのスタイルを提供していることにはかなり意識的である。


【4.一般市民向けワークショップ】

■保険に加入する

 参加者I:ワークショップ中に誰かが怪我をした場合、その責任はどこまで誰が取れるのかを考えてしまいます。

 川南:スポーツイベント用の保険など、保険会社に問い合わせをすれば色んな種類のものがあるはず。1人につき100円といった安いものもあるので、調べれてみればどうか。

 石本:もし怪我をした人がいたら、「怪我の再現」をしてみてもいいかもしれない。怪我もまた人間。自分の体を見ておこう、という習慣もいい。歩く、見る、聞く、話すなど、基本的動作と呼ばれるものを探究するのも演劇人。

■サラリーマンも参加

 参加者I:夜のワークショップにはサラリーマンが多い。スーツ姿でいらして、急いで体操着に着替える方がたくさん。

 川南:人間の根本(体感する、他者と関わる、表現するなど)を味わいなおしたい人は、割と多いのでは?

■ワークショップ当日に参加者と会う

 参加者Y:ワークショップ会場についてから、足の不自由な参加者がいると知った。そのため、その場でプログラムを全て変えた。
 川南:「どこで、誰が、誰に、何を、どういう目的で、教えるのか」といった事前情報を入手することが大事。企画者とのやりとりで聴いておく。指導者と、ワークショップ参加者の情報を指導者に伝達する人とが、お互いに目的を共有することが必要。あと、特別な事情がなくても当日に参加者の具合を見て進行内容を変えるというのはままあることだと思う。

 ⇒⇒⇒自分の予定どおりに押し切るのではなく、その場の全員が参加できるワークショップに変更されたのは、1人ひとりを大切にして、例外をつくらないという信念をお持ちだからだと思いました。議会のように多数決はしないし、ディベートのように勝敗もない、演劇のあり方があらわれていると思います。

■ワークショップの種類はさまざま

 参加者I:一般の方にいかに演劇に興味を持ってもらうかを考えて、ワークショップを行っている。でも私は俳優であって俳優指導者ではないから、ワークショップの指導をしてはいけないのでは?

 石本:白黒つける段階ではないと思います。今はいわば戦国時代のようなもので(笑)。人に求められるままにやるのでもいい。


【5.俳優養成学校の現実】

■俳優の教育機関

 川南:日本における俳優になるための教育機関といえば何だろう。大学、専門学校、養成所、劇団、サークルな ど。どこも「プロの俳優を育てます」といった似たり寄ったりの看板を掲げているが、実際は授業のボリュームもモチベーションもばらばら。プロポーションも違う。受講対象者にはここにいったらうまい俳優になれるということは保障できないし、業界の人に対してはここを出た人だからこれだけの能力があるという質保証はできない。

■笑いを取ろうとする俳優

 参加者S:専門学校の演技の授業で、シーンを演じる時に必ず笑いを取ろうとする生徒がいる。「それはしなくていい」と言っても止めない。

 鍬田:大学の演劇専攻でもそういう人はいる。「キャラ化」の話につながるかもしれないが、昨年、今年ぐらいからお笑いを狙う人は増えている。半年では治らない。それ以外にできる事を増やしてあげることと、そのための方法を入手できるようにお手伝いができればとは思うが…あとはその人次第。

■演出家、劇作家、俳優に「エキスパート」の資格がない

 ★参考文献「実践知 -- エキスパートの知性」

実践知 -- エキスパートの知性

有斐閣
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 川南:「実践知 -- エキスパートの知性」という本には、看護婦や芸舞子、専門職やスポーツ選手などの場合、何歳から何歳までの十数年間の練習を積んで、ピークはいつかなどのデータが載っている。他業種だが参考になる。日本では演出家、劇作家に「熟達(エキスパート)」になれる試験や尺度がない。俳優も同じ。試験や資格はいらないと思うが、俳優の育成段階の「上達」の変化を研究してみたい。たとえば10年で一万時間の修業をすると…など。「暗黙知」を言語化する必要性を感じる。近年、このような研究は少しずつなされつつある。

■日本の国立大学に演劇学科はできるか?

 川南:1925年から26年にかけて(それ以降も)、岸田國士が俳優養成について書いた文章が青空文庫で読める。岸田は今と同じようなことを言っている。約85年前から何も変わっていないのが日本の俳優とそれをとりまく環境である。
 ・俳優教育について(1926年)
 ・俳優の素質(1926年)
 ・俳優養成と人材発見(1927年)
 ・新劇衰微の兆 天才俳優出でよ(1928年)
 ・演劇アカデミイの問題 国立俳優学校の提唱(1936年)
 ・俳優倫理(1940年)


【6.指導に必要なのは繊細さ】

■環境を緻密にデザインする

 池内:漠然とエクササイズをするのはだめ。それぞれの現場で自分のアイデアが、相手の頭の中に立ち上がるように、環境をデザインする。たとえば怪我人が出た場合、「いつ?」「なぜ?」「どんなふうに?」という要素が緻密につながっている。フィリップ・ゴーリエ(フランスの俳優指導者)のクラスでは、あんなに激しく動くのに誰も怪我をしないのが不思議。それはフィリップのいかた(存在の仕方)が緻密だから。空気の作り方がきめ細やか。
 ある香港の俳優指導者は「興奮して我を忘れると…」と言って数通りの怪我の仕方を提示した。「走ってぶつかるとどうなる?」「壁がかわいそう」「床がかわいそう」などと一つ一つ演出し、生真面目にならない方法で、参加者の頭に今本当は何が大切で何に挑むべきなのかを明確化した。何事も最終的に対峙のしかたがどれくらい細かいか、丁寧かが大事になる。

■マクロとミクロの両方を視野に

 川南:俳優指導者は(そしてどの分野の教育者も)「私はこの人を変えられる」と思ってはいけない。指導者には人をよく観ること、また育てていく過程でのデリカシー、細やかさが必要。世界の中のアジアの中の日本の中の演劇界の中の「自分」であり「相手」である、そのことをミクロとマクロの両方の視点で見ること。わたしたちは演劇界で仕事をしているが、それをとりまくどの社会とも世界全体ともつながりを持っているのだから。
 『Powers of Ten』(⇒関連リンク)という映像作品がある。人体からマクロの宇宙へと飛び、また人体へと戻って来て今度はミクロの世界へと潜っていく。このようなイメージの「広く外へ、そして、深く内へ」の視野が必要だろう。 

「Powers of Ten」英語のみ 

 ※柴幸男さん作・演出の短編『ハイパーリンくん』もこの映像がもとになっています。

■体にタッチすることについての責任のとりかた

 鍬田:プロの俳優指導者が参加者の体を触る時は、たとえば「やめて欲しい時」「気づかせたい時」など、さまざま。
 「体に触れる」ことは、常識だけではわりきれない。素人はプロのレベルにはなれない。俳優が思い通りに言葉を使える方法を獲得するのに時間がかかるよう に、俳優指導者でも「3年やればできるようになる」ものでもない。「体に触る方法」について研鑽が必要。言葉と同じように。
 エクササイズを生徒同士でやらせたりするのは危険。マッサージをさせるのもすごくリスキー。意図がはっきりしているかどうか、目的に合っているかどうか、導入側にそういう意識があるかどうかが大事。


【7.俳優指導者、ワークショップリーダーの心得・将来の展望】

 鍬田:相手の状況に合わせるのではなくて、行うエクササイズを越えたところを、根っこの部分を教えることが大事。実際に行うエクササイズの目的だけに狭めがち。でも、そのエクササイズの目的を果たすことだけでは、包括的な人間教育はできない。

 川南:私は十数年前、俳優養成の仕事を始めたころには「誰が教えるか」ではなくて「何を教えるか」が重要だと考えていた。しかし、俳優養成の現場をたくさん経験した今、「何を教えるか」ももちろん大切だけれども「誰が教えるか」が最も重要なことだと考えを改めた。なぜならば、俳優養成は対人援助であり教育なのであって、どのようにやっても、経験も文化もその「個人」にくっついているから、その人つまり俳優指導者の全部ひっくるめたそのものが重要なのだ。俳優および俳優指導者は、相手の自尊心をはぐくむ者として、その文化を共感、共有しながらも外(一般)へも向かっていく。

 ★参考文献「学校という劇場から―演劇教育とワークショップ」

 川南:佐藤信さんの「学校という劇場から―演劇教育とワークショップ」は、東京学芸大学のプロジェクトで、 ワークショップの手続きの仕方もあきらかにされている。「演劇は、一人称で語るしかないのだ」という立場をとりながらも、そこで終わっていない。どうしても言葉にできないから密室になりがちな演劇の現場について、工夫を凝らして言語化した書籍。ワークショップや俳優養成の現場で何が起こっているのかを語るのはとても難し い。でも私たちは自分たちでコツコツ努力を重ねてこれを言葉にし続けなければと思う。

 池内:我々の大きな目標(目的、夢)は、今の日本の文化を変えること。大きなプロジェクトだと圧倒されるかもしれない。でも大小は問題ではない。いちいちその課題にどう取り組むのか、どういう姿勢をとるのかが大切。私は何を大切にしているのかをはっきりさせてきたら、自然と大きな課題と向きあうことになった。そしてこういうことは橋をつくるとか、ダムをつくるというように目に見えることではない。終わりがない。自分に嘘をつかず、共感する人を増やし、それぞれの環境をより良くするよう、よりよく行動していくこと。

 石本:ワークショッブや俳優指導を受ける人には参加者、生徒、学生など、さまざまな呼称があるが、『俳優という名の学習者』という見方もあっていいだろう。学習は生涯つづくもの。『こういう学習者として育ってほしい』という思いを、どんな現場でも持っている。広くだけでなく、ものごとを深く探究していけるような人材を育む教育の専門家でいたい。
 どんなことになっても生き残れる人材が必要。時間は止まらないし、体も超えられない(人は肉体から出ることはできない)。演劇は、それ(この誰にでも平等な制限)に向き合うことを得意としている。時代にフィットしなくても、一見地味な、当たり前のことを深めていきたい。


≪しのぶの感想≫

 俳優指導、学校での演劇教育、そして一般の方が参加するワークショップなどの話を聴くと、いつもホっとしたり、ちょっと幸せな気持ちになります。人間の多様さ、差異が生む豊かさを全肯定する時間が存在することを確認できるからです。集団が小さかろうと、時間が短かろうと、その充実の時間を味わっている人が確かに存在した事実に、希望が持てます。

 俳優指導者アソシエーションの企画に参加(または取材)して感じるのは、ある程度の筋道を予想して準備を万端にしていても、できるだけ正直に、その場で起こることにまかせてみようとする姿勢です。俳優指導の現場やワークショップだけでなく、セミナーでもそれが徹底されていました。私は聴講する立場で参加させていただきましたが、後半では少しだけ発言の機会をいただきました。
 主催者側も参加申込者も私も含む、そこにいる全員がその場の空気を作っている。それを決して無視しないのです。そうなるとおのずと求められるのが自主性(および意見を発言すること)や、他者の意見を聴くことです。皆さんの問題意識や悩み、将来の夢を拝聴しながら、私自身はどうしたいのかを常に考えていました。

 10年余り、さまざまな舞台作品を拝見してきてわかったことは、私がストレート・プレイがとても好きで、技術のある俳優が出ているお芝居が観たいと願い続けていることです。岸田國士の時代から望まれていて未だそれが叶っていないことには、ある意味絶望に近い心地にもなるのですが、だからといって私にはあきらめられないので、同じ志を持っている方々とゆるやかにつながりながら、私にできることを継続していきたいと思います。

 最後に、戦中・戦後の日本の演劇史について、そして日本の俳優について書かれている素晴らしい本をご紹介します(以前にもご紹介しています)。如月小春著「俳優の領分 中村伸郎と昭和の劇作家たち」です。

俳優の領分―中村伸郎と昭和の劇作家たち
如月 小春
新宿書房
売り上げランキング: 566917

 岸田國士さんの苦悩についても多数引用されています。私は記憶力が優れている方ではないので2回読みました。もう忘れてるのでまた読まないと…と思っています。


俳優指導者アソシエーション『シリーズ 俳優指導者のすべて』
開講日:4/21(土)、5/19(土)、6/23(土)
受講料:19,000円(3回通し) 個別受講:7,000円/回
http://asatp.org/?page_id=18

※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2012年07月10日 10:59 | TrackBack (0)