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Shinobu's theatre review
しのぶの演劇レビュー
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REVIEW

2006年09月28日

新国立劇場演劇『アジアの女』09/28-10/15新国立劇場小劇場

 阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史さんが新国立劇場に初登場。期待に胸を思いっきり膨らませて初日に伺いました。
 素晴らしかった・・・・。じわり、じわりと感動が胸にこみあげて、幕が下りてからしばらく動きたくなかったです。

 全日程で追加席が販売されています!
 ⇒チケット情報
 ⇒お問い合わせ ボックスオフィス 03-5352-9999
 ⇒長塚さんのインタビュー(asahi.com)

 レビュー⇒踊る芝居好きのダメ人間日記charisの美学日誌

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 レビューを最後までアップしました(2006/10/03)。

 ≪あらすじ≫ 公式サイトより。(役者名)を追加。
 近未来の東京。震災に見舞われ都市機能は麻痺し、人々は混乱している
 街の片隅でひっそりと暮らす兄妹がいた
 妹(富田靖子)は震災前に精神を病んでいたが、今は落ちつきを取り戻し
 兄(近藤芳正)の面倒をみながら暮らしている
 そこへあるひとりの男(岩松了)が訪れ、3人の新しい生活が始まる
 多くのものを失ったあと、人間はどこに向かっていくのか……
 ≪ここまで≫

 舞台は震災で廃墟になった町外れの立ち入り禁止区域です。殺伐とした風景の中、かみあわない会話が交わされ始めます。
 決して大げさにならず、押し付けず、静かに、淡々と登場人物の心が紡がれていきました。言葉すくなに時間は経過して、一見何事も起こってなさそうに装いながら、実は刻々と生活は変化し、目に見えないところで続々と事件も起こっています。

 ストーリーを追うような気持ちには全くならず、一人一人の仕草や行動、対話をそのままに味わいました。観客一人一人が自由に、感じたままに受け止めて、噛み締めれば良いのだと思います。それくらい余裕(余白)のある、大人のお芝居でした。

 最後に示されたカタストロフィと小さな奇跡に、この世界、そして人間存在そのものに対する深い憂いと愛情が表されたように感じ、私はその優しさを全身に浴びて、震えて、涙しました。
 長塚さんは1975年生まれの31歳、団塊の世代ジュニアなんですね。私、同世代、です・・・あぁ、すごい人がいるっ!! お話の内容にも、長塚さんご自身にも、勇気付けられました。

 ここから先はネタバレのレビューを書くのが通常なのですが・・・ここまで書きながら、舞台を思い出して再体験しては、涙がぽろぽろ流れる状態なので、書けるかどうか自信がありません(汗)。

 ・・・・なんとか書き上げました(2006/10/03)。私が受け取ったこと、そして考えたことです。超~長文です。

 客席が舞台を2方向から挟みます。ステージの形状はこんな風。ロビーから劇場に入ると正面奥に通路が見える位置関係です。私は通常客席がある方の席で、ほぼ最後列でした。舞台全体が見渡せて良かったです。中央ステージには上手と下手にくずれかけた家があり、(私から見て)上手側が兄妹の住居なのですが、崩壊して2階部分が地面に落ちており、1階は完全にぺしゃんこになっています。装置はすっごくリアルに造作されていますが、劇場奥へとまっすぐ伸びる通路は直線で、現実世界と異界とをつなぐ能舞台の橋掛かりのようにも見えます。
 音楽はノイズなのか音楽なのかわからないぐらいのミクスチャーで、めちゃくちゃかっこ良かったです。

 「不幸な生活の中にも小さな幸せはあるよね」というような、殺伐とした日常生活の中に人間性を見出すタイプの作品ではありません。命も未来もなくなった荒廃した地平に、人間の希望の光を表出させることに成功した、奇跡的な作品です。

 妹の麻希子(富田靖子)は近所でも有名な精神異常者でした。兄の晃朗(近藤芳正)は妹の世話をするために編集者の仕事を辞めました。地震の後、麻希子は既に死んで地下に埋まっている父親の食事の用意をしたり、芽が出るはずのないコンクリートの地面に畑をつくって、毎日水をやったりしています。
 次の余震が来たら、すぐ近くにある大きなビルが確実に倒れてくるので、兄妹の家は立ち入り禁止区域になっています。でも父親と畑の世話をすることで妹の精神状態が安定していることに気づいている晃朗は、そのまま動かないことを選びました。

 実は晃朗はアル中で、毎日何もせずに飲んでばかり。言ってることが明らかに矛盾したり、穴の中から父親の手が出てくる幻を見たりするので、晃朗自身も正常とは言えません。
 晃朗について特に尋常でないことには、彼は通路を通ることができないのです。どうしても途中で足がすくんでしまい、家の外へ出て行くことができません。「出て行ったら、もう俺は戻らないかもしれない。(妹を捨てて)帰ってこないかもしれない自分が怖い」と晃朗は言います(セリフは正確ではありません)。

 兄妹の家にはほぼ毎日、警察官(菅原永ニ)が配給物資を届けにやってきます。彼は麻希子に恋をしているので、水が入った重たいタンクを運んであげたり、兄に酒を差し入れしたりもします。非常時下の警察権力の強さを利用してワイロを贈っているのですから、立派な犯罪です。警察官と兄妹との関係に人間の欲深さと弱さ、そして可愛らしさが見えて、矛盾だらけの人間社会がその場に表されていました。

 突然に訪ねてきた男・一ノ瀬(岩松了)は晃朗がむかし担当していた小説家で、親の七光りで本を出したりしたものの、実は事実の羅列しか書く事のできない、物書きの才能がない男でした。一ノ瀬は自分に小説が書けないのを晃朗が編集を降りたせいだとし、「竹内(晃朗)に貸しがある」と言い続けます。兄思いの麻希子は、晃朗の代わりに一之瀬のために尽くそうと決心して、一之瀬がつぶやいた「タバコとチョコレートが欲しい」という一言のために街へと飛び出しました。そこから、兄妹たちは外の世界とつながることになります。

 麻希子は街で出会った鳥居という女(峯村リエ)に仲介され、“ボランティア”と称して通いの売春婦になります。“奉仕”の代償としてピンク色の配給引換券を受け取り、三人の生活はだんだん豊かになりました。晃朗は何もせずに酒を飲むだけ、一ノ瀬は小説を書く真似をするばかり。食べるために体を売る麻希子との差が目に見えてきます。

 困窮した避難生活が続く街では、中国人、韓国人、朝鮮人ら外国人を排斥、差別する事件が起こり始めました。鳥居が自分の縄張りを守るために、外国人について根も葉もない悪意ある噂を触れ回ったことが、さらりと示されます(「中国人が配給の品物を闇市で高値で売っていたらしい」「強盗は中国語をしゃべっていたはずだ」など)。麻希子はそんな鳥居に対して徐々に反発するようになり、仕事をズル休みしがちになります。というのも、彼女がある中国人のことを愛し始めてしまったからでした。

 資本主義社会の論理にもとづいて合理的に生きるならば、働いてお金(配給の引換券)を儲けることは理にかなっており、生き延びるために必要不可欠なことです。でも、自分の良心に蓋をして、利益を得るためなら他人を陥れることもいとわない鳥居のような人間よりも、自堕落な日々をむさぼっている晃朗や一之瀬、一人よがりな愛に没頭する麻希子の方が、勇気があって、美しいように見えてきました。

 一之瀬はしばしば、自分の頭上にたかってくるハエを避ける動作をします。でも実際のところハエは存在せず、彼だけが見ている幻なのです。彼が自分のことをハエのような存在(他者の創作物にむらがる虫けら)だと思っているからなんですね。
 ある日、警察官の愛読書である官能小説をそのまま書き写したことがバレて、警察官に思い切りののしられた時も、一之瀬はハエの幻を見ます。一之瀬の悲しみ・苦しみが身に沁みてわかる麻希子は、警察官を怒鳴りつけて追い出し、一之瀬と一緒に実際には存在しないハエを追い払いはじめました。晃朗も後から加勢して三人で見えないハエを追いかけます。このシーンで涙が溢れました。心を合わせた彼らには、存在しないハエが見えていたのです。あの時から小説家は孤独ではなくなりました。

 鳥居と麻希子との関係に取り返しのつかない亀裂が入り始めた頃、麻希子は好きな人ができたこと、その人が中国人であることを晃朗に告白します。妹の変化に気づいていた晃朗は、「嫌なら仕事なんて辞めてもいい、中国人のところへ行けよ」と麻希子に応えます。麻希子が嬉しそうに、胸を張って街へと出かけて行った後、晃朗は、父親が埋まっている(ことになっている)穴に、木の板を打ち付けて蓋をしました。妹の精神はもう病んではおらず、彼女が他者を愛し、自分の意志をしっかり持って行動することができるようになったからです。
 静かに淡々と、変わりなく続きそうだった物語に、何かが起こる気配が立ち込めてきました。

 麻希子に励まされ、晃朗に助けてもらいながら、一之瀬ははじめて自分で物語を思いつくことができました。
 「ひとりの女が畑に手紙を埋めた。それは地面へのラブレター。女が一生懸命に水をやったので、ラブレターは地球に届いた。手紙をもらうなんて生まれて初めてのことで、地球はものすごく嬉しかった。だからその女のために、野菜でも何でもかんでも、全部生やしてやろうと決めたが・・・。」

 晃朗が見守るなか、一之瀬は喜びに溢れて執筆を始めます。そこに警察官が、麻希子の身に何かが起こったことを伝えにやってきました(おそらく中国人と日本人の抗争に巻き込まれて死亡)。麻希子のことを愛していた警察官は、ショックのあまり通路の中腹で泣き崩れます。一之瀬は何も耳に入れず、ただただ執筆を続けます。晃朗は一歩踏み出し、警察官がいる通路へと近づきました。晃朗は妹の自立(=死)によって解放され、自分の足で外の世界へと歩み始めたのです。通路でうずくまる警察官の横を過ぎて、とうとう晃朗は超えられなかった境界を越えた!・・・と、そこに再び地震が起こりました。

 恐ろしい地響きがだんだんと大きく鳴り響き、舞台が徐々に暗くなる中、一之瀬は書き、警察官は嘆き、晃朗は前へと歩みを進めます。私は阪神淡路大震災のことを思い出し、肩をすくめて頭を伏せて、その恐ろしい音を浴びました。その長い、長い暗転の後、音もおさまってきて、ゆっくりと明転すると・・・小さな白い花が地面にたくさん咲いています。コンクリートの畑からは緑の芽が、所狭しと生え揃っています。人は誰も居ません。廃墟の花畑が白く、明るく光る静けさのまま、終幕でした。カーテンコールはありませんでしたが、客席からは大きな拍手が起こりました。

 突然に現われた花たちは、一之瀬の物語にあるとおり、地球の気持ちが花となって生えてきたのかもしれません。また、ストーリーとの具体的な関係はなく、人類の希望の象徴として花を表出させたと受け取ってもいいと思います。
 私は奇跡が起こって実際に花が咲いたとは思いませんでした。だって、二度目の地震で白い大きなビルが倒れ、兄妹の家もアパートも全てがなぎ倒されて、そこに居た彼らも押しつぶされてしまったはずだから。目の前に突然、死の匂いに満ちたガレキの山がそびえ立ったはずだから。だから、地面から生まれた小さな命たちは、あの廃墟に暮らしていた人間そのものを象徴したものだろうと思いました。

 麻希子、晃朗、一之瀬は、命がいつ亡くなってもおかしくない極限状態にありました。生き返らない父親、生えてこない芽の世話をして、命を狙われた異国の男を無償の愛で守ろうとした女。病んだ妹の面倒を看ながら、実は自分自身こそが彼女に依存しているのだという自己矛盾と戦い続けた兄。本当は書けないのに、一心不乱にただ「書く」ことを欲した小説家。全員、自分の命が動物的な意味で持続するための努力はしていません。彼らは命を顧みずに、自らがすべきだと信じたことを実行したのです。これこそが人間であり、人間が人間たる所以なのではないでしょうか。
 またあの花たちは、悲しくなるほどに人間を憂いて愛する、長塚さんの心が表れたものでもあると思います。

 ※観ている時から感じていたのですが、この戯曲は抽象舞台での風変わりな演出にも合うのではないかと思いました。全く違うキャスト、演出での再演にも期待したいです。
 ※「最後に舞台に出てきたのは、花ではなく葉(芽)だった」という情報をいただきました。私の座った席が最後列だったので、花に見えたのかもしれません(2006/10/10加筆)。

出演=富田靖子/近藤芳正/菅原永二/峯村リエ/岩松了
作・演出=長塚圭史 美術=二村周作 照明=小川幾雄 音響=加藤温 衣裳=宮本まさ江 ヘアメイク=綿貫尚美 演出助手=長町多寿子 舞台監督=矢野森一
一般発売日7月16日(日)A席5,250円 B席3,150円 Z席1,500円 当日学生券=50%割引
※追加公演10月7日(土)18:00開演&10月14日(土)18:00開演 チケット発売日:9月3日(日)10:00~
公式=http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/10000146.html

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Posted by shinobu at 2006年09月28日 23:04 | TrackBack (0)