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Shinobu's theatre review
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REVIEW

2012年05月11日

マームとジプシー『マームと誰かさん・ひとりめ 大谷能生さん(音楽家)とジプシー』05/11-13 SNAC

 岸田國士戯曲賞を受賞したばかりの藤田貴大さんが作・演出されるマームとジプシー。今回は音楽家の大谷能生さんとの共同創作です。6月は演出家・美術家の飴屋法水さん、最後となる7月は漫画家の今日マチ子さん。⇒前売り券発売日をぜひチェックしてください!

 始まるなり、あまりに感動して、涙がぼっろぼろ流れて、体が震えて、大変でした。隣の席の方々、ごめんなさい。

 上演時間は約45分。前売り券は完売。当日券が出るかどうか、または出る枚数は制作さんがTwitterで告知してくれています。
 劇中歌が入ったCDが1枚1000円で終演後に販売されます。1ステージ限定25枚で、終演後すぐに列ができましたが、私が観た回は完売していなかったようです。

 写真↓は黒い紙の封筒に入った当日パンフレット(無料配布)。インタビューが充実しています。
20120511_mom_otani_pamflet.JPG

 ⇒国際交流基金「藤田貴大ロングインタビュー
 ⇒CoRich舞台芸術!『マームと誰かさん・ひとりめ 大谷能生さん(音楽家)とジプシー
 レビューは少し書いてます。続きは書けたら書きます。完成させられる気がしない…。
 少々加筆し、変更しました(2012/05/12)。最後まで書きました(2012/05/22)。

 演劇のつくり手(藤田貴大さんと俳優たち)と音楽家(大谷能生さん)が、それぞれの立場から、ともに真剣に「音」とは何なのかを追求していく行為だったように思います。音を、音楽を、そして人間を批評する生身のパフォーマンス。「音」とは何かという問いに真剣に向き合い、身も心もなげうって奉仕する姿にも見えました。
 舞台上の人々がみな空洞を抱えた人形のように見えました。誰もが楽器(セリフにある言葉だと無機物)になっていたのかも。

 当日パンフレット掲載の藤田貴大さんと大谷能生さんの対談形式のインタビューが、作品理解を助けてくれます。人間(私)について、過去(記憶でも思い出でも過失でも)について、新しい視点を得られました。「過去から学ぶ」ことも大切ですが、そういう説教めいたことではなく、過去は再生される度にクリエイティブであり続ける、という発想です。

 ここからネタバレします。セリフなどは正確ではありません。

 ≪あらすじ≫
 いづみ(青柳いづみ)は売れてない歌手。レコーディングをしても音痴気味で、音楽担当の大谷さん(大谷能生)も困り顔。たった一度だけ関係を持った波佐谷君(波佐谷聡)の家に勝手に押しかけて、彼を待ち伏せしたりする“痛い女子”でもある。…という、お芝居を、しまーす。by 青柳いづみ(=女優)
 ≪ここまで≫

 古いLPレコードの正方形のカバーが10枚ぐらい、壁を装飾するように貼り付けられています。下手の机の上にはなにやら機材のコントローラーらしきものがあって、それを操作する女性がイスに座っています。上手奥は大谷能生さんの居場所。大谷さんのものと思われるMacのノートパソコンが開いています。床にはスピーカーが転がっていたり、空の缶コーヒーがいくつも並んでいたり。そこに俳優2人が登場します。

 冒頭で青柳さんと波佐谷さんが2人で会話をしていて、徐々にラップのようになっていき、そこに大谷さんが演奏(オペ?)する音楽が重なってきた時に、どうしようもなく込みあげるものがあって、体が震えて涙がドっと溢れてしまいました(お芝居の最後の方でこの場面が繰り返された時も、もれなく嗚咽)。セリフが歌詞になって、言葉が音から歌(和音、音階みたいな感触)になって、動きがダンスに見えてきて。語られているセリフの内容は非常にわかりやすい“説明”や“解説”のようなものなんだけど、すべてが、すっかり音楽になっていったんです。特に青柳さんの演技が凄くて、目が離せなくて。舞台上にいる4人全員が、「音(音楽)」を表すための道具(=楽器)になっているようにも感じました。

 直観的に「人間の中身は“空洞”なのだ」という考えが浮かびました。私は空洞を内に抱える“筒”のような存在で、その筒は何かを受け取る時と、内側(=空洞)から何かを出す時にフィルターのように機能し、受け取り方と出し方にその人の個性が出るというイメージです。呼吸も、会話も、読書も、観劇もフィルターを通じて何かを自分の中に出し入れする営みです。自分も笛のような楽器になってこの舞台に参加しているような体感を得ました。

 青柳さんと波佐谷さんが“一度だけ肉体関係を持った男女”を演じる中で「音を聞いて、昔のことを思い出すことあるよね?」というやりとりをします。そういえば私はなつメロを耳にすると意識が数十年前にトリップして、昔の景色がフラッシュバックしたりします。バスに乗っている場面で波佐谷さんは、イヤホンで音楽を聴いていました。青柳さんは彼の行為について「過去の音、もう死んでいる人の声を聴いて、すぐ横に居る私や“今”を無視してる」と言いました。言われてみて初めて、そのとおりだなと思いました。CDの音楽はライブ(生)ではありません。録音された音楽にひたるのは、今を忘れて(現在を軽視して)昔に回帰しているかのようです。

 CDに録音された音楽はデジタル音源なので、理論的には何度聴いても全く同じ音が鳴ります。でも実際のところは、聴く場所や環境、時代によって、違った音に聴こえるかもしれないですよね。私事ですが、先日のお芝居の客入れBGMがそうでした。10代の頃に大好きだった曲が、昔とは違った音色で響いたんです。原因は「聴く人間(私)が変化したから」だし、「時代が変わったから」でもあって、でも「音楽が変わったから」ではありません。
 録音された音楽は、聴く人がいて初めて存在が確認できるものです(演奏者不在ですし)。つまり常に“聴く人次第”の存在なんですよね。過去の音楽がいま再生された時、それは過去の姿のまま現れるわけではなく、新たに違うものとして生まれるのだと解釈していいのではないか。いやむしろ、そうならざるを得ないと気づきました。これは藤田さんが当日パンフレットや他のインタビューでもおっしゃっている「反復はリピートじゃなくてリフレインだ」ということであり、過去は「リジェネレート(蘇生)」されるのだと思います。すなわち過去は生きていて、新しい何かを生み出し、未来をつくるのです。藤田さんが過去(ご自身の経験)にこだわる理由に初めて納得できました(⇒参考エントリー)。そして私自身の過去がいとおしくなりました。

 大谷さんが劇中で「(音や音楽について僕は)わかんないんだよな~」と言う度に、その真摯さに打たれて泣けてしまいました。音楽家だからこそ「音がわからない」と言えるんですよね。私のような凡人は音楽や音について考えたこともないし、きっとちゃんと聴いたこともないんだと思います。だから自分には「音がわからない」ことさえわかっていない。
 と同時に、「わかんないんだよな~」という言葉はセリフですから、虚構なんですよね。大谷さんが繰り返し発語されるので、台本通りだとわかります。大谷さんが「(私は)大谷です」と言う度に、そのウソ臭さにもドキリとしました。いつだって誰だって、人間の言葉が本心から発せられたかどうかなんてわかり得ません。音(=言葉)は、受け手がそれぞれに解釈するもので、誰もが共通の解釈ができる音(=言葉)なんてないんですよね。つまり、何もかも、不確かなのです。
 いづみが波佐谷君との情事について言う「あなたと寝た時は、静寂」というセリフがあります。大谷さんが奏でるとても静かな音楽(しばらくして音は止まりました)と、それを聴いている役者さんと観客の息遣いを感じて、無音ではない静寂を味わいました。そしてその静寂は、その場にいる人の数だけ種類があって、ひとつの音ではないんですね。このことは、昨年の『官能教育 藤田貴大×中勘助「犬」』でも確かな体験としてわかったことでした。

 「このお芝居のタイトルは、亡霊」というセリフが発せられた時、ガクガクと震えが来ました。今、再生されている過去の音たち(CDに録音されたヒット曲など)はまさに亡霊です。そしてそれを亡霊たらしめているのは、その音楽を体の中(空洞)に出し入れして、ともに演技をしている役者さんたち。役者さんも観客も、いつか死ぬ未来の亡霊です。録音された音楽という“過去”が役者さん(=演奏者)を介して亡霊として立ち現れ、“今(現在)”を生きている人間と出会い、その“今”は休みなく“未来”へと塗り替えられていきます。音楽が亡霊なら、私も亡霊で、人間という空洞から生み出された物はすべて亡霊なんじゃないか…写真も、絵画も、この舞台も。
 過去、現在、未来については、パンフレットに書かれていた「写ルンです理論」(インスタントのフィルムカメラ“写ルンです”は、過去と現在をその瞬間に分離させる装置である)でも言及されています。“亡霊”については劇団サンプル松井周さんがよくおっしゃる「ゾンビ」とつながる気がしました。

 青柳いづみさんから目が離せず、見ているだけで涙が流れました。なぜなのかわからないんですが。彼女の体(外見)と内面(心、脳、神経?)はきれいに分離されていて、でも体は意志(脳からの指令)とズレることなく動いているように見えます。こうやって書いていて矛盾していることはわかるのですが…。課せられた演技以外の何かを感じ取ったのかもしれません。
 終盤、セリフを言いながら、青柳さんは涙を流していました。たぶん「こんな女、痛いですよね~」という自嘲気味のセリフの時です。前半から何度か繰り返されたセリフなのですが、発せられる度に違う響きを持っていました。客席でも最初は笑う人が多かったですが、だんだん笑えなくなって、最後は彼女の涙とともに胸に悲しくせまる言葉になっていました。「いづみという架空の人物の心象をあらわす」意味で肉感をともなうリアリティーがあり、毎ステージ同じ瞬間に同じように繰り返すことができる高度な「演技(=虚構)」でもある。その両方に感動したんじゃないかと…うーん、やはりうまく説明できません。

 照明もかっこ良かったです。下手の机に設置された蛍光灯がパっと点いた時、ときめきました。


マームと誰かさん@SNAC ひとりめ
出演:青柳いづみ 波佐谷聡
作・演出:藤田貴大 音楽:大谷能生 照明:明石怜子 演出助手・CDデザイン:召田実子 パンフレット原稿:藤原ちから 制作:林香菜 主催:マームとジプシー 共催:SNAC/吾妻橋ダンスクロッシング
【発売日】2012/04/30 ご予約 2000円+ドリンク代 *1ドリンク制となっておりますので、必ずドリンク代は頂戴致します。当日券 2500円+ドリンク代
http://mum-gypsy.com/next/5-7.php
http://snac.in/?p=1972

※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2012年05月11日 22:35 | TrackBack (0)