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Shinobu's theatre review
しのぶの演劇レビュー
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REVIEW

2004年10月13日

TBS/Bunkamura『赤鬼~日本バージョン』10/02-20シアターコクーン

 野田秀樹さん作・演出の『赤鬼』3ヴァージョン連続公演の最後を飾るのは日本バージョンです。出演者は最少人数の4人。(前2バージョンのレビューはこちら→ ロンドンタイ
 客層がめっきり変わっていました。若い人が多い!

 BunkamuraのHP内のページ「赤鬼とは」に『赤鬼』のこれまでの上演歴とあらすじが書かれています。
 あらすじを引用します↓
 “村人に疎んじられる「あの女」と頭の弱いその兄「とんび」、女につきまとう嘘つきの「水銀(ミズカネ)」が暮らしていた海辺の村に、異国の男が打ち上げられたことから物語が始まる。
 言葉の通じない男を村人達は「赤鬼」と呼び、恐れ、ある時はあがめ、最後には処刑しようとする。彼と唯一話ができる「あの女」も同様に処刑されそうになる。「水銀」と「とんび」は捕らえられた二人を救い出し、赤鬼の仲間の船が待つ沖に向かって小船を漕ぎ出すが、船影はすでになく、四人は大海原を漂流するのだが…。”

 さすがに3度目ですので退屈しました。これは・・・仕方ないと思います。ストーリー全部わかっちゃってるし、誰がどんな役なのかも知っているし。この上さらに楽しもうとすると、前の2バージョンと比べて観るというのが一番てっとり早いわけです。

 全バージョン通して劇場中央に小さな舞台が設営されるのですが、今バージョンでは上から見たらひょうたんのような形の、丸みを帯びたものでした。色は白木色。床からの高さはジュース瓶の高さぐらいです。というのも、舞台のまわりをグルっといろんな種類の瓶で囲んでいるのです。ところどころその瓶に可愛らしい花が刺してあり、前2バージョンと比べるとメルヘンチックなイメージでした。

 さて内容についてですが、まずセリフが早口でしかも声が通っていないため、せっかくの日本語の言葉が聞こえづらかったです。ちょうど『夢乃プレイ』『胎内』で上手い役者さんを観たばかりだったのもあり、これは私には致命的でした。

 日本人の役者さんは野田さん、大倉さん、小西さんの3人ですが、ひっきりなしにどんどんと違う役を演じていく演出なので、一つ一つの役柄がすごく軽く見えました。村の老人、若者、赤子などはあくまでも記号として作り、メインの「トンビ」「水銀」「あの女」だけ掘り下げたキャラクター作りをされたのかもしれません。でも、どうも皆さん、アニメっぽいというか・・・表面だけの演技のように見えてしまい、主要人物を好きになれませんでした。ロンドンの役者さんのように歴史や技術を背負っていなかったし、タイの役者さんのように全身で勝負しているようも感じられなかったのです。全力投球はされていたと思いますが、あくまでもそれは運動面の話です。走りっぱなしですものね。

 ロンドン、タイバージョンで赤鬼が「freedom!」と叫ぶところは、セリフ全部がキング牧師の演説になっていましたね。それ以外の赤鬼のセリフはフランス語に近かったように思えました。赤鬼役のヨハネス・フラッシュバーガーさんは特に可もなく不可もなく。野田秀樹さんの赤鬼と比べるとやっぱりプレーンですから(笑)。

 音楽は、これはいつものことなのですが、私の好みには合いませんでした。野田さんの作品の選曲はベタっとしたものが多いので受け入れづらいです。また、テーマ曲はいいとしても、違うバージョンなのに同じ曲が流れるのはやはり嫌ですね。タイ・バージョンで使われた私の個人的思い入れの深い曲が、やはり同じシーン(赤鬼が" I have a dream"と叫び、「あの女」が通じあうところ)で使われていて興ざめでした。言葉も演出も出演者も違うのですから、音楽もその作品に合うものに変える方が良いと思います。

 前2バージョンに比べると不満な部分が多かったのですが、最後はやっぱり感動してほろりと来ちゃいました。3度目なのに。野田さんの脚本はすごいですね。水銀役の大倉さんが熱く「あの女」への愛情を伝えてくださり、「あの女」(小西真奈美)が美しく見えました。トンビ(野田秀樹)が語る妹の「絶望」のことが少しわかった気がしました。うーん、これは戯曲本を買わなきゃかも。

 小西真奈美さん。北区つかこうへい劇団に出演されていた時(『蒲田行進曲』『二代目はクリスチャン』等)と同じようにされていたのが残念でした。いわゆる良いセリフ(決めゼリフ)を話す時には決まって、あの裏声のような、息を漏らして出す高めの声色を使われるんですよね。「あの女」の普段の声は低くて艶のある色っぽい声ですごく良かったんです。あのまま、なりきって語ってほしかったです。
 大倉孝ニさん。アドリブっぽい演技が楽しかったです。ラストの「あの女」とのやりとりでは完全に大倉さんに見とれていました。野田さんの頭を叩く時に、遠慮して帽子のつばをさわる程度になっているのが可愛らしかった(笑)。
 野田秀樹さん。「裁く男」役がめちゃくちゃカッコ良かったです。セクシーだったな~、あのずる賢くて最高にイヤな野郎役が。

 私が観た回はカーテンコールが4回ありました。やりすぎじゃないかなーと思ったんですが、出てくる度に小西さんの笑顔がどんどんと可愛くなって、あの笑顔のためになら拍手しちゃうかもねと思いました。ただ、小西さんの笑顔に見えるのは役を演じきった喜び(自負心)というよりは、全力を出し切ったスポーツ選手のさわやかな汗のようなものに感じられました。

作・演出:野田秀樹
美術・衣裳:日比野克彦 照明:海藤春樹 選曲・効果:高都幸男
出演:小西真奈美(あの女) 大倉孝ニ(水銀) 野田秀樹(とんび) ヨハネス・フラッシュバーガー(赤鬼)
Bunkamura内『赤鬼』サイト:http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/event/akaoni/index.html

Posted by shinobu at 15:08 | TrackBack

新国立劇場 演劇 THE LOFT 1『胎内』10/04-17新国立劇場小劇場

 新国立劇場の小劇場をさらに小さく使うTHE LOFTという企画の第1弾(3弾まであります)。『浮標』で大感動した三好十郎さんの戯曲なので(2003年の私のベスト1です。レビューはこちら)少し期待して観に行きました。

 戦後2~3年経った日本。悪事を働き金儲けをしている男(千葉哲也)とその愛人(秋山菜津子)、生きる希望を失くし、穴の中に閉じこもっていた元兵士(檀臣幸)の3人が、防空壕の中に閉じ込められる。必死で穴からの脱出を試みるが、わずかな希望も絶たれて極限状態に陥ってしまう。死を目の前にした彼らのそれぞれの生き様があばかれていく。

 敗戦国となった日本では、世の中の価値基準がガラっと変化しました。道徳や理性などかなぐり捨てて金のために奔走する者が増え、またそういう輩に本当に金が集まるようになってしまった、心の喪失の時代。正反対の生き方をしている男2人と1人の女に、当時の日本人の姿が投影されます。(ここからネタバレします。作品の性質上、読んでから観に行かれても問題ないと思います)

 20世紀の戦争についての自分の知識を振り返ると、私が受けた高校までの歴史教育では、事実ではなく一つの解釈を教わったように感じています。人から人に何かを伝えるということ自体に常にそういうリスク(事実の捏造)があるのですが、三好十郎さんのこの戯曲の言葉は、ありのままの本当の事として受け取れました。

 このまま死ぬのだとわかってから、佐山(檀臣幸)は意外にも自分が「生きたい」と思っていることに気づきます。そして、今までの自分の人生を初めて振り返るのです。(下記のセリフは完全に正確な引用ではありません)
 「戦争に負けて、みな『自分は本当は戦争なんてやりたくなかった』と声高に言い始めた。この戦争を誰かのせいにするために。」
 「戦争をやっている時、俺は誰かを殺したいなどとは全く思っていなかった。ただ、命令されるがままに穴を掘っていた。」
 「戦時中、戦争をしたいと思っていた奴がいただろうか?いやいなかった。ただ上に言われるがままに従っただけだ。それに、従わなかったとして、あの時、弱い人間に何が出来たであろう?いや何もできなかった。」
 「人間は弱いのだ。」
 「弱いことは、悪だ。」
 「俺は自分の命をもてあそんでいた。」

 気が動転してくるにしたがって花岡(千葉哲也)と村子(秋山菜津子)の衣装はどんどんと血の色が現れて、花岡などは赤い服を着ているかのように全体が血に染まった半袖のシャツを着ている状態になります。反対に、自分が「生きている」と気づき、主体的に生きはじめた佐山(檀臣幸)の衣装は、汚れずにそのままです。登場した時のボロ雑巾のような風貌から、凛々しささえ垣間見られるようなります。
 
 このお芝居のタイトルが『胎内』であることについて。「もしここから出られたら、私、もっとちゃんとするのに」と息も絶え絶えになって嘆く村子(秋山菜津子)の言葉に、観客は自分自身を重ね合わせます。この作品という母体の中にいた観客は、死んでいった3人の痛ましい人生に触れ、劇場の外に出る時には新しい命として生まれ変わるという意味なのではないでしょうか。私たちの祖先が犯した過ちを正しく知り、それを再び繰り返さないと誓い、生きるということを主体的に生きて、今、突然死んでしまっても恥ずかしくない生き方をしようと、心を新たにするのです。なんて偉大な・・・。

 さて、ここまでは三好十郎さんの戯曲についての感想でした。役者さんが非常に達者な方ばかりだったおかげでセリフを正確につかむことが出来ました。下記、この公演自体についての感想です。

 穴に閉じ込められたと気づくまでの3人のやりとりが、リアルながらとても軽快で面白かったです。でも客席は総じて深刻な雰囲気で、コミカルな間(ま)がちゃんとあったのに笑ったのは私だけ・・・?という状態。もっと笑っていいと思うんですけどねぇ。
 閉じ込められて「もう助からない」と気づいてからの5、6日間を3シーンぐらいに分けていた気がします。長かったですが、予想していたよりは平静に観ていられました。事前にあらすじを読んで、明るい結末ではないことを覚悟できていたからだと思います。

 役者さんは3人とも演技がリアル。文句なく上手くてほれぼれします。ただ、すごく意外なことに、感情移入できなかったんです。本当にそういう人が目の前にいるように見えてしまい、「昔の時代の人がいるな~」と、眺めてしまう状態だったんです。なんて皮肉なんでしょう!リアルを求めたために心の内側へ内側へと突入してしまい、外側(観客側)への爆発力が減ったのでしょうか。それとも私が脚本解釈ばかりしてしまったせい?理由ははっきりしないのですが、とにかく私は淡々と眺めるままに終わってしまいました。

 舞台はツルっとした何もない板の上で、全体が斜めの坂のようになっています。色は汚しの入ったどす黒い朱色。両側を観客にはさまれた細長い形で、直線的で抽象的なものでした。中央に水が溜まった丸い穴があいていて、たばこを捨てたり、花岡が佐山の頭をつっこんだり、生々しい用途に使われます。この装置もなんだかサラッとしていたんですよね・・・。たぶん言葉があまりに凄すぎて、美術や音響、照明などがちょっとした装飾どまりに思えてしまったのではないかしら。装置がすごくリアルな穴ぐらだったらどうだったんだろう・・・。『浮標』の時みたいに(初日写真はこちら)、額縁や周辺だけを抽象にする方が、観ている方も当事者のように感じられたのかも?うーん、良い戯曲だっただけに疑問がふつふつと・・・。私は最前列の席だったのですが、不思議なことに何もかもが遠くに、遠くに感じたのです。目の前に居る千葉哲也さんが私と全然関係のない世界にいらっしゃるように感じました。

 役者さんについて。素直に尊敬です。こんな壮絶な芝居をやろうと思うなんて。そして、あそこまでなり切って演じられるなんて。1日2ステージの日があるのが恐ろしい。
 千葉哲也さんと秋山菜津子さん。tptで二人芝居もされていらっしゃいます。期待通り。満足。言うことなし。
 檀臣幸(だん・ともゆき)さん。青年座所属。ハンサムを期待していたんですが・・・この役ではそれは全くムリですね(笑)。めちゃくちゃ演技がうまいです。手放しでスゴイ。『てのひらのこびと』(レビューはこちら)以来、さらにファンになりました。全然関係ないことですが「檀臣幸」でYahoo!検索した時に出てくるお写真、めちゃくちゃ若い!!

作:三好十郎 演出:栗山民也
出演:秋山菜津子 千葉哲也 檀 臣幸
美術:島次郎 照明:勝柴次朗 音響:市来邦比古 衣裳:宇野善子 ヘアメイク:林裕子 演出助手:宮越洋子 舞台監督:米倉幸雄
新国立劇場:http://www.nntt.jac.go.jp/

Posted by shinobu at 01:57 | TrackBack