2011年08月20日
マームとジプシー『塩ふる世界。』08/17-22 STスポット
マームとジプシーは藤田貴大さんが作・演出される個人ユニットです。藤田さんはいま最も注目される最若手の日本の演劇人と言って過言ではないと思います。出演者は毎回変わりますが、固定メンバーも多いです。チケットは毎回早々に完売。
『芸劇eyes番外編「20年安泰。」』で上演された『かえりの合図、』、7月に北海道で上演された『待ってた食卓、』、そしてただいま上演中の『塩ふる世界。』で3部作となります。『待ってた食卓、』は横浜でも2ステージ上演されますが、残念ながら私は伺えそうにありません(涙)。
『塩ふる世界。』はお馴染みの繰り返し(リフレイン)の技法を踏襲しつつ、さらに先へと進んでおり、いたく感動しました。毎度生まれ変わる記憶と、鎮魂の劇だと私は思います。
上演時間は約1時間20分。体感時間は2時間半~3時間ぐらいかしら…密度の高い観劇体験でした。
⇒東京デスロックの多田淳之介さんのツイート
⇒多田淳之介さんと藤田貴大さんのポスト・パフォーマンス・トーク
⇒2回ご覧になっためっこさんの詳しい感想⇒1、2
⇒CoRich舞台芸術!『塩ふる世界。』
≪あらすじ≫ 公式サイトより
夏の真ん中、暑いけど、どこか寒々しい頃、八月。
街を去る人、残る人。高校生から大人までの時間と身体。
友達たちの後悔と、何かを口にしなければいけない日常。
≪ここまで≫
役者さんは走り、踊り、跳ね、転がります。激しい息切れと衣装を染めていく汗。まるでアスリートのよう。でも語られる言葉は非常に繊細で、演技も緻密です。俳優にとってこれほどまでに高いハードルって、なかなかないんじゃないでしょうか。
少年少女のある日常の出来事が繰り返し語られますが、全く同じ繰り返しではありません。あえて変化が加えられたり、組み合わせが違ったり、無数のバリエーションで“あの日のあの時間”が再現されていきます。
日本で多くの観客が楽しんでいる商業演劇では、「俳優が役になりきる」技術を駆使して、「俳優=役」と観客に思い込ませることを前提にした作品が主流です。観客はそれを疑問なく受け入れ、提示された物語を本当に起こった出来事のように、さらには自分のことのように感情移入して楽しみ、学ぶことができます。私はそういう演劇が大好きです。
でもそもそも演劇は、生身の人間が本人ではない人を演じる時点で、虚構です。そして物語そのものも創作なので、虚構です。つまり演劇は、常に2つ(以上)の虚構が層をなして存在する、高度な芸術だと思います。
最初の「俳優が他人を演じる虚構」は無視されがちですが、『塩ふる世界。』では、顔を赤らめ疲れていく俳優をさらすことで、舞台上の俳優が俳優本人である事実を提示します。激しく変化するステージングやダンス、ラップなどの身体表現を次々と繰り出し、物語には直接関係ない(と思われる)演出で魅せてくれます。
毎度違う方法で新しく再現される登場人物の記憶(=物語)と、目が離せない多重な表現、そして目の前に居る俳優自身の生々しい実体。7人の“あの日のあの時間”を何度も一緒に疑似体験するうちに、濃く深く、彼らに起こった悲劇を味わいました。これは別役実さんがおっしゃっていた「嘆き悲しむ時間」だったと思います。
過去の記憶は生きている。思い出す度に新しく生まれ、すぐに消える。再び思い出した時には、また新しく、変化している。それでも忘れないために、自分と向き合うために、これからも生きていくために、記憶を再生産していく。そんな営みに思えました。当日パンフレットに書かれた藤田さんの言葉に至極納得でした。
ここからネタバレします。
塩はエン。地球を構成する元素たち。肉体はやがて朽ちて循環し、命は再現される記憶とともに、何度も新しく蘇る。
セリフが聴こえないほど大音量の音楽に、すばやく変化する照明のもと、走る役者さんたち。2月公演と同様、一緒に鑑賞した観客とともに、自分もこのステージを構成する不可欠な要素だったと感じました。演劇もまた、何度も繰り返され、新しく生まれます。
物語の舞台は海の近くの田舎町。2学年が1クラスにまとまる小さな学校で、ずっと一緒だった少女たちにも変化の時が訪れます。ひなぎく(青柳いづみ)のお母さんが崖から飛び降り自殺をしてしまい、引越しすることになったから。ひなぎくの家にはお風呂がありません。父親の描写がないことから、おそらく母子家庭ではないかと。
最後は、ひなぎくが母が沈んだ海辺へと掛け寄る動作が繰り返されます。「母はどんな気持ちで崖から飛び降りたのか」「母は日々どれほど追いつめられていたのか」「なぜ私を棄てたのか」。ひなぎくは生きている限り、決して解が与えられない問いと向き合い続けるのでしょう。人間は変化しますし忘却しますから、思い出す度に記憶は塗り替えられ、新しい事実となっていきます。それでも思い出し続ける、問い続けるという決意と実行。それが死者および残された者への鎮魂だと思います。
倉迫康史さんが書かれている「人間は忘却という不可抗力に再発見で抗いながら世界を学んでいく」ことと重なりました。
出演:青柳いづみ 伊野香織 荻原綾 尾野島慎太朗 高山玲子 緑川史絵(青年団) 吉田聡子
作・演出:藤田貴大 舞台監督:森山香緒梨 加藤唯 照明:古城陽子 山岡菜友子(青年団) 音響:角田里枝 宣伝美術:本橋若子 美術協力:細川浩伸(急な坂アトリエ) 写真撮影:飯田浩一 制作:林香菜 主催:マームとジソシー 共催:STスポット
【発売日】2011/05/13 前売2500円/当日2700円
http://mum-gypsy.com/next/post-30.php
※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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マームとジプシー『コドモもももも、森んなか』02/01-07 STスポット
マームとジプシーは藤田貴大さんが作・演出される劇団です(過去レビュー⇒1、2)。今回も初日前にチケットは完売。追加公演も完売したそうです。当日券あり。上演時間は約1時間50分。
開幕した途端、キました・・・!俳優が自分自身から離れて少年少女役に徹することで、日常の出来事が異化されて普遍に。幼児の叫びは全人類を代弁しているようでした。
⇒舞台写真
⇒『しゃぼんのころ』劇評(徳永京子)
⇒『ハロースクール、バイバイ』劇評(荻野達也)
⇒インタビュー『ここだけのはなし ~柴幸男×藤田貴大の場合』
⇒CoRich舞台芸術!『コドモもももも、森んなか』
※ずいぶん前に書いたレビューですが、アップするのが遅れました(2011/08/20)。
あらすじから書き始めることが、この作品を語るには手落ちな気がしますので、ネタバレ以降で。
これまでの2作品では“中高生の学校生活への郷愁”という側面が私には大きすぎて、観察する視座から離れられなかった(のめり込めなかった)のですが、今回は始まるなりいきなりドカ!っと、ブス!っと、ガクガク!っと揺さぶられ、早くも落涙。3分ぐらいしか経ってなかったんじゃないかな(苦笑)。
セリフがとても早口で聴きとれません。でも別方向から、別の視点から同じシーンが何度も繰り返されるので、何が語られ何が起こっているのかが徐々にわかってきます。「早口で聞き取れなかったことが知りたい」という興味をエンジンにして集中できました。ただの繰り返しではなく演じるごとに音量も語気も変化しますから、それこそ早口でしゃべり続けること自体の面白さもあって、全く退屈しませんでした。
多数の視点から描くことで物語が立体的に味わえる感覚です。実は世界は無数の視線にさらされて存在していますし、1人の人間を形作るのは本人だけでなく、その人を見つめる視線、記憶もその構成要素ですよね。劇場で一緒にこの舞台を観た他の観客の方々のことも、この作品とともに私の記憶に残ると思います。
役者さんへの負荷が大変高いです。「これはハードです」と観客のくせに断言しちゃいます。役者さんたち、凄いです。特にモモ役を演じた召田実子さんは、ピカソの絵に描かれるライオンのような、猛獣に見えました。極めて純粋素朴で、欲望に忠実で、目的のためなら野蛮な行為も辞さない、生命力のかたまり。でも心がある。
泣き叫んだり、怒りをぶちまけたり、甲高い声で早口で主張をまくしたてたり、そういう強いベクトルが見える行為が、野蛮であればあるほど純度の高さにほれぼれし、美しくて見入ってしまいます。
ここからネタバレします。
≪あらすじ≫
小学生の長女、次女、そしてまだ保育園に通う三女の生活風景。姉2人が末っ子を交互に送り迎えをしている。母親はなかなか家に帰ってこない。父親も不在のようだ。
≪ここまで≫
母はおそらくスナック経営者で趣味はパチンコ。深夜になっても家には帰らず、三人姉妹をほぼほったらかし。でも末っ子が1人で出かけることが多かったり、突然いなくなる(死んでしまう)ことから、もしかすると末っ子は不治の病に冒されており、母親はその世話と治療費を稼ぐことで精いっぱいのシングルマザーだったのかも、と想像。
やがて父のいる東京へ旅立つ長女。次女は(母親がいない間の)留守番は私がいるから、と長女に告げる。
終盤に「キャロル・キングの『つづれおり』が流れていたから母の店だとわかった」という次女のセリフがあります。幼いころに何度も聴かされたから覚えていたんですね。実はこのアルバム、開演前の開場時間に流れていました。私はこのアルバムが大好きで、昔は全曲歌えるほど聴き込んでいました(今はもう無理だけど)。だから開演前はちょっと変な感じがしていたんです。白い床に寝転がったり、無言で遊んだりしている少女たちとはアンマッチだったから。でも腑に落ちました。
最初と最後に母の影を感じさせたのは、「このお芝居全体が母の思い出だった」という演出だと受け取れると思います。そういえばタニノクロウさん演出のイプセン作『野鴨』も、最初と最後に口数少ない父親が一人で座っている場面があったんです。少年少女の生をギラギラと鮮やかに描き、同時にそれを親の視線でパッケージングしたのは見事だと思います。
Sony Music Direct (2004-04-21)
売り上げランキング: 1839
コドモたちのちぐはぐなカラダとココロ、それとすこしだけ、ミライ。
坂あがりスカラシップ2010対象公演
出演:青柳いづみ(役:次女) 伊野香織 荻原綾 北川裕子 斎藤章子 高山玲子 とみやまあゆみ 召田実子(役:三女モモ) 吉田聡子 大石将弘(ままごと) 大島怜也(PLUSTIC PLASTICS) 尾野島慎太朗 波佐谷聡
脚本・演出:藤田貴大 舞台監督:森山香緒梨/加藤唯 照明:吉成陽子 照明オペ:明石伶子 音響:角田里枝 宣伝美術:本橋若子 制作:林香菜 共催:坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・のげシャーレ・STスポット)
【発売日】2010/12/26 ご予約2000円/当日券2200円
http://mum-gypsy.com/archive/post-19.php
※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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