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Shinobu's theatre review
しのぶの演劇レビュー
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REVIEW

2013年04月03日

【つぶやき】俳優の演技について(2013年4月)

 数年前から事あるごとに「技術のある俳優の演技が見たい」とわがまま放題に言ってきました。実はこの書籍でも、おすすめの本を紹介する形で同じことを書かせていただいたのです。本が発売されたら私の原稿は当サイトに全文掲載する予定です。

 そんな私が最近、強くうなずき共感した言葉を、自分の備忘録のためにも、ここにご紹介しておこうと思います。

【谷賢一さんのブログより 2013/03/27】

きちんと謎や矛盾や神秘を秘めて、ただそこにいる、ということの重要さを、今回ほど感じる現場はない。つまり「こういう人ですよー」「今こういう感じですよー」って演じちゃうことは、上に書いた「語る」=「断面図を描く」ということと限りなく近い。お客さんは断面図を観に来ているんじゃない。存在そのものや奇跡を観に来ているんだ。

 谷さんがおっしゃる「現場」とは今、こまばアゴラ劇場で上演中のテアトル・ド・アナール従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』の稽古場のことです。ご縁あって稽古場レポートを書かせていただきました。とっても面白いです!私ったらもう2回も観てしまいました。4月7日までですのでお見逃しなく。

 私はいわゆるストレート・プレイにおいて、「この人物はいま悲しんでいる」という状態を説明するような演技があると、興ざめしてしまいます。キャラクターの皮を被るのではなく、役人物として、ただ、そこに居て欲しい。俳優には心理主義リアリズム、写実演技と呼ばれる演技方法をベーシックなものとして理解し、訓練して獲得してもらいたいと思っています。
 ※心理主義リアリズム、写実演技については如月小春著「俳優の領分―中村伸郎と昭和の劇作家たち」で読みました。

【徳永京子さんのツイートより 2013-04-03】

俳優は、木を見ながら森も見るのが仕事だと思う。「頑張ってます」ってことを、幹を間近で睨んでウンウン言ってる姿で主張されても、それは甚だしい勘違いで。寄ったら引いて、時には物凄ーく遠くまで離れて、その往復に汗をかくのが本来必要な一生懸命じゃないのかな。成熟がね、欲しいのよ。
去年のF/Tの『レヒニッツ(皆殺しの天使)』で私が強く感動したのは俳優の成熟度だった。歴史の加害者を、加害者のエゴイズムで堂々と演じるという成熟。悪役とか敵役とか憎まれ役ではなく、加害者。それはやっぱり、自分の役と作品をとんでもなく遠くから眺めて初めて出来ることだと思う。

 徳永さんの言葉が無料かつオンタイムで読めるこの幸福。ありがとうインターネット。演劇関係者なら彼女のツイッターは必読だと思います。ぜひフォローを!

 私も『レヒニッツ(皆殺しの天使)』を拝見していまして、出演者の演技にほれぼれしました。彼らは舞台上に登場人物(=加害者)としてただ存在していただけでなく、さまざまな方法の中から、その演技を選択したこともわかりました。具体的な場面は忘れてしまったんですが、終盤で下着姿になった若い女優さんが、ヒステリックと形容してもいいであろう演技で、長い独白をしたんです。すると「登場人物であること」以外の何かが生まれて、加害者と被害者を含んだ人類全体の怒り、悲しみがその女優を介した叫びとなって、空間に立ち現われたように感じました。そういう効果も考えた上での役作りであり、演技だったのだと思います。

 少し脱線しますが、パリにできた日本文化を発信する会員制倶楽部の記事をご紹介します。
 ⇒JBPress「パリで世界最高の日本式ラッピングサービスをどうぞ 「折形」を提供する入会金25万円の高級倶楽部が登場

【MIWA創立者の佐藤武司さんの記事より 2013.04.02】

 「ここではモノではなく、コトを売っています。」
 「珠玉のような究極の存在であるからこそ、「誰にでも分かってもらおうとは思っていない」」 
 「みんなが分かる、分かりやすいものは“薄くなる”。そもそも、日本文化自体が、分かりにくいものです」

 舞台のつくり手の方々には共感できる部分が多いのではないでしょうか。岩松了さんもこのようにおっしゃっていました。「演劇は“個人の迷路”を提示できる。それを見せることで、すぐ近くのわかりやすいところでではなく、遠くと遠くで人と手をつなぐことのできるもの」(Wonerlandより抜粋)。⇒セミナー受講記録エントリー

 下記は先述の谷さんと同じことを言っていると思います。舞台にあって欲しいのは物事の断面図ではなく、存在そのものや奇跡なんです。これは『従軍中の…』のテーマにも共通すると思います。

 「その人はアメリカ人でしたけれど、実際に日本を訪れた経験もある方が、『ここは日本を分かるところではなく、日本を感じるところだ』とおっしゃった。まさに言い当てていると思いました。それは、『日本の神は感じるもので、信じるものではない』という、ある神主さんの言葉にも通じる」

 同時に始まったコラムにあった『戦後日本が歩んできた「当たり前」だとおもうことをすべて逆から見直す』ことにも心底共感します。私は、岸田國士さんが探究してきて戦後に断念してしまった、写実演技によるストレート・プレイが観たいのです。それを今、実現してくれるのは、翻訳家、演出家の小川絵梨子さん、そして谷賢一さんではないかと、勝手ながら期待をしているところです。

 ※念のため付け加えておきますが、舞台芸術には感情と身体の文脈を敢えて別にする表現方法もあります。言葉の意味が示す通りの演技を、敢えてしない演技方法もあります。それらもとても面白く、実現するには技術が必要です。
 公演の意図や作品の演出によって手段は異なりますので、私がここで紹介した種類の演技方法が、どんな現場でも常に求められ、歓迎されるわけではありません。ただ、現代演劇の(ストレート・プレイの)演技にも「基礎」が存在することは、知られて欲しいと思います。

※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2013年04月03日 15:29 | TrackBack (0)