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2013年05月04日

【写真レポート】SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭2013」プレス発表会①03/28アンスティチュ・フランセ東京エスパス・イマージュ

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演劇祭チラシ

 SPAC・静岡舞台芸術センター(⇒公式ツイッター)が「ふじのくに⇔せかい演劇祭2013」を開催します(過去エントリー⇒)。
 今年は7か国による8演目の上演の他に、映像上映が1つと、SPACと静岡県が協力する「ふじのくに野外芸術フェスタ」参加3演目が催されます。

 SPAC芸術総監督の宮城聰さんはじめ、一流のアーティストの言葉を直に聞くことができるプレス発表会を、私は毎年楽しみにしています。語られたことをなるべく多くお伝えしたいので、今年は2つに分けて掲載します。

 ●SPAC「ふじのくに⇄せかい演劇祭2013」
  ~演劇で世界と静岡をつなぐ一ヶ月~ ⇒公式サイト
  2013年6月1日~30日@静岡芸術劇場、舞台芸術公園など
  ・ステージ数が少ないですのでご予約はどうぞお早めに!※『室内』は完売。
  ・東京・静岡間の劇場直行バスあり!(片道1000円)

 登壇者写真↓(左から敬称略:泉陽二、中野成樹、宮城聰、小島章司、布施安寿香)
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 ※長いレポートですので、写真を目印にして、気になる演目からご覧ください。

■変われなかった日本人は、少し前に戻ろうとしている

 宮城:昨年の後半ごろから、今の日本、東アジアはどういう状態にあるんだろうと、非常に心配になりながら考えてきました。芝居をやる者はその時代の一番敏感な鏡でなければならないのは当然のことなのですが、混乱してきたので、もう一度よく考えてみたんです。
 数年前から日本人は「変わらなければ」と思っていたんじゃないか。でも、あまり変われなかった。苛立ちがつのる中、やはり「いつか外部からチャンスがやってきて、ガラっと変われるのではないか」と思ってきた。しかしながら、現実問題として震災もありましたが、変わることは簡単ではないんですね。変わろうとすると、うまくいかないことが色々と出て来る。せっかく変わろうとしたのに困難だとわかると、一層自信がなくなってしまう。そこで「昔は良かったんだから、昔のやり方をもう一度やったらどうだろう」という空気が、日本人の間に再び流れてきたんじゃないか。僕はその辺に危険な空気を感じないわけではありません。
 「制度疲労だ」「GDP(国内総生産)で諸国に抜かれた」「だから変わらなきゃ」などと言って、昔のやり方を取り戻してみて、少し昔に近くなって安心する。でもこれは実に一時的なことですよね。たとえば54歳になった僕が「40代はよかった」と言ってるようなもので、長続きしないと思うんです。でも、過去の中に知恵があることも確かなんですよね。少し前から存在していて、まだまだ有効なもの、あるいは忘れられている良いものが、あるのかもしれない。

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宮城聰さん

■「変わらないこと」の中でこそ「激しく変わっていく」

 宮城:今、あらためて「継続性」というものを考える必要があるのではないでしょうか。僕は割合最近まで、戦前の日本は今と全く違う社会だったと思い込んでいました。戦争に負けて、日本も、日本人の心も、価値観が逆さになるぐらいにすっかり変わったんだと思っていたけれど、果たしてどうなんでしょう。たとえば昭和15年ぐらいというと、軍部独裁の暗黒時代でとんでもない社会だったと思い込んでいたけれど、今とそう違いないんじゃないか。今日の日本社会が、戦前の日本社会と本当に違うのか?意外に違っていないのではないか? いい意味でも悪い意味でも、「人間は変わらない」「日本人社会は変わっていない」ということに、もう一度着目して、「変わっていないこと」の良い面、悪い面を、見つめ直す必要があるんじゃないかと考えたんです。
 たとえば敗戦という大事件が起きて、自分の外側の世界が変わったことで、自分も変わったと思うのは簡単です。でもそれは安易なことで、実際は変わってないかもしれない。むしろ、矛盾するようですけれども、「変わらないこと」の中でこそ「激しく変わっていく」のではないか。端から見ると「動かざること山の如し」と言われるぐらいに不動に見えるスタンスにありながら、自分の中は激しく変わっていくということが、実現できるのかもしれない。最近の日本の様子を見ていると、そういうコントラストを感じるんですね。一見変わっていないようなところにこそ、実はものすごい変化をもたらすマグマのようなものがあるのではないか。そのようなことを考えながら今年の「ふじのくに⇔せかい演劇祭2013」をプログラミングしてみました。


【1】SPAC新作『黄金の馬車』 ↓(c)Ed TSUWAKI
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 宮城:僕が昨年演出した『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』は、国そのものの成り立ちをストーリーにした壮大な作品で、最後に祝祭があらわれ、全体がことほがれるような芝居でした。劇場に必要なのは祝祭なのではないかと、『マハ…』をやりながら考えていたんです。
 「ナラ王物語」は「マハーバーラタ」の中でも最も古く、インド的とすら言えないほどプリミティブなものでした。あまりにも古くて、さまざまな人によって作られた物語であるために、どういうアングルから切り取った世界だったのかが、もはや消えている。額縁が存在していないんですね。それぐらい古いものをやると、次に何をやろうかと色々思い浮かべても、世界が小さい感じがしてしまって。
 非常に迷った後で、そうだ、ジャン・ルノワールの映画「黄金の馬車」があったと思いついたんです。この直感の理由は、その時はわからなかったんですが、ジャン・ルノワールの研究家でもいらっしゃる野崎歓さんに伺ったら、ジャン・ルノワール自身も、インドで「河」という映画を撮った直後に「黄金の馬車」を撮ってるんですね。びっくりしましたし、面白いことだなと思いました。

 ★『黄金の馬車』特別対談「野崎歓(フランス文学者)×宮城聰(SPAC芸術総監督)」⇒

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 「河」は人の手が届かないインドの大地そのものを撮影したような、人為的な形跡がない映画。その直後に「俳優(女優)としての人生」という、一軒の家の中で全て済んでしまうような狭い世界を撮った。正反対の映画を作ったんですね。映画「黄金の馬車」は本当に額縁舞台の中だけの世界なんです。選んで女優という仕事に就いたわけじゃないけれど、ある程度の年齢になって振り返ってみると、いつの間にか自分には、もう女優としての人生しかない。自分はそれ以外の人生を捨てていた。もう与えられた人生を生きるしか、そこに留まるしか、ない。「置かれた場所で咲きなさい」という、人間がもっとも自由を奪われている状態です。そこに『マハ…』のような極大の祝福とは正反対の、極小の祝福があるのではないか…今、そういう風に考えています。

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 上演する劇場は、原生林を切り開いたところにある野外劇場「有度(うど)」です。人間の手が入っていない天然の雑木林なので、人間の知恵を越えた複雑さがある。いくら見ていても飽きないんです。原生林を背景に、極小の世界である額縁舞台の中の女優の人生が描かれる。それが舞台『黄金の馬車』です。


【2】クロード・レジ演出『室内』世界初演 ↓(c)Mario Del Curto
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 宮城:クロード・レジさんは今年の5月1日に90歳になられます。アンスティチュ・フランセ東京のガルニエ館長からもご紹介があったように、フランスの伝説的、神話的な演出家です。途中苦労があったのもありますが、この企画が実現したことは、今も冷静に考えると自分でもびっくりします。
 レジさんはここ数年、少人数の俳優しか出ない芝居を作ってらっしゃいました。作品作りがあまりに厳格なので、沢山の俳優が出る作品はとても難しいんですね。レジさんの稽古場では、俳優たちは水を打ったような静寂を保ちながら、空気を非常に張り詰めた状態で維持しなくてはいけない。フランスの劇場もそういうことを引き受けるところが、なかなかなかった。メーテルリンクの『室内』はレジさんがかつて一度演出され、伝説的な成功をおさめられた作品ですが、俳優が12人も出演するので実現が難しかったのだと思います。
 そんな中、レジさんが僕たちの劇場で『彼方へ 海の讃歌(オード)』を上演してくださった時に、僕たちの劇団の俳優たちの様子を見て、とっても気に入ってくださったんです。「SPACの劇場で、SPACの俳優ならば、自分の思うような創作をできるかもしれない」と考えてくださった。そこで僕らも、レジさんに新演出作品を作っていただくのは、歴史に残る仕事なので是非やりたいとお願いしました。
 2月に稽古の前段階のワークショップが始まって、レジさんご本人が3月10日から17日の8日間に渡りオーディションをされて、俳優が決まりました。4月からパリで1ヵ月、5月から静岡で1ヵ月半の稽古を経て、6月中旬に本番を迎えるプロジェクトです。クロード・レジさんの歴史に『室内』という作品を書き加えることができただけで、本当に僕は名誉なことだと思っています。


■レジさんからのビデオメッセージ(動画より文字起こし)↓

 レジ:私がメーテルリンクに惹かれる点は沈黙を言葉の一種と考えているところです。ここから出発することで言葉と沈黙の真の関係を見つけることができます。また、詩人が書く言葉には、書かれていることよりずっと多くのことが語られていることに気づきます。
 私たちは知性を超えた領域を探求しています。「理解する」ということは重要ではありません。「理解した」と思う時は少しのことしか分かっていません。理解を超えた所にこそ光を与えてくれる領域があります。光を与えてくれるのは、よく見えない領域なのです。分からない時こそ、多くを分かっているのです。
 思うに、この舞台作品を見たいという方は、未知のものとの出会いを求めている方でしょう。既知のものを見ても意味がないと思っている方でしょう。未知のものに身をさらす危険は、もちろんとても面白く疲れるだろうけれど、ものすごく面白いはずです。ありがとう。


■『室内』に出演する泉陽二さんと布施安寿香さんを迎えて

 宮城:『室内』はメーテルリンクが人形劇として書いた戯曲です。手前にセリフを言う人たちがいて、奥にセリフを言わない動くだけの人たちがいると、指定されています。(登壇している)出演者の泉陽二さんと布施安寿香さんは、お2人ともセリフを言う役ですね。

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泉陽二さん

 :SPACの『グリム童話』に出演させていただいた時、宮城さんが「SPACは“詩の復権”を掲げ挑戦を続ける」とおっしゃっていたことが、僕にとってはヒントになっています。『室内』の世界観は“詩の復権”とかなり似ている気がして、『グリム童話』でやっていた作業と同じ感覚で取り組んでいます。文字どおりにセリフを言わないことや、言葉から意味を剥ぎとってみようという試みです。レジさんのメッセージにもありますように、見えないものを見ようとすること、無音の中の声を聴こうとすることに挑戦しています。

 布施:私はマリーとマルコという姉妹のマリーの方を演じます。新約聖書に出てくるマリアとマルタから生まれた役です。レジさんが「俳優は何かを出すのではなく、何かを受け取る、受容する肉体だ」とおっしゃったので、まずその場に居て、素直によく見てよく聴いていれば、何かが見つかるんじゃないかと思っています。オーディションの時、レジさんに「声をどういう風にしたらいいか」と質問したら、「声は探すな、変な声が出たら僕が言うので、まずは聴きなさい」と言われました。

 宮城:どういう声を出すかは考える必要はない、と。言葉が招いてくれるんですよね。

 :人物を立ち上がらせる作業において、レジさんは「演技なんかするな」「この役人物になれるなんて思うな」「演じきってはいけない」「情緒的になってはいけない」とおっしゃいます。「ないものが、ある。そしてあると思ってるものは、別に、たいしたものではない」とも。レジさんが見たい演技とは、自分を人形のように思うとか、たまたま僕の体が使われてるような感覚になるとかが近いのかなと思うのですが、どうしたって“僕”が考えて“僕”がしゃべるので、稽古はとても大変です。

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布施安寿香さん

 宮城:「室内」はどんな戯曲だと思いますか?

 布施:「室内」は現代にも存在しそうな老人と子供と、不幸せな家族が出てくる小さなお話です。言葉も、書かれていることもシンプル。でも、その奥にたくさんのものが潜んでいることは、読めばわかります。小さい中に、本当に色んなものが豊かにある戯曲だと思います。

 :「室内」は、ある女の子が亡くなったことを、その家族に伝えに行くお話。死の予感が一秒一秒近づいてくる感覚、気配みたいなものをどう表現できるのか。これからの稽古でみんなで探していくことになると思います。
 台本を書き写してみたんです。まるで作家のように、言葉が生まれる前のところから、文字を空間に刻み込んでいく感覚で。3度、4度と書き写すうちに新しい発見がありました。言葉が自分の中から生まれてくる瞬間を味わって、「言葉ってなんて面白いんだろう」って思いながら。でもそれをセリフとしてしゃべるのは難しいですね。

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 記者の質問:レジさんがSPACの俳優となら一緒に創作できると思った理由は何だと思いますか?
 宮城:レジさんは静寂や沈黙にものすごく重きを置いてらっしゃいます。例えば『彼方へ 海の讃歌(オード)』主演のジャン=カンタン・シャトランさんは、スイスを代表する名優ですが、「一度レジさんの芝居に出演したら、もう何年かは絶対出たくない」と思われるそうです(笑)。それくらい強烈らしいです。これは僕の憶測ですが、最近フランスで大人数の作品を上演できないのは、やはり、あの厳しい稽古場の雰囲気に耐えられるフランス人俳優が、それほど多くは居ないせいじゃないでしょうか。
 レジさんが僕たちの劇場に初めて来てくださったのは3年近く前、『彼方へ…』の時です。楕円堂という劇場のために舞台美術を作り直したので、日本平の舞台芸術公園に泊まって2週間ぐらい稽古をされたんですね。その時に僕たちの劇団の芝居だけでなく、SPACの俳優たちが稽古場の掃除をしたり、機材の管理をしている状態もご覧になったと思うんです。それで、SPACの俳優が十数人ぐらい居ても、水を打ったような稽古場を何時間も維持することができると思われたんじゃないでしょうか(笑)。
 また、これは非常に希望的な解釈なんですけれども。レジさんは「生のすぐ隣には死があり、死のすぐ隣には生がある」「生と死は常に同時に一緒にいる。それは悲しいことではない」と考えてらっしゃいます。オーディションの時もしきりに、「死が近づいているからといって、舞台の俳優は悲しくなってはいけない。悲しみを表現してはダメだ」とおっしゃっていました。「現実に死が近くなってくれば、かえって情緒的にならずに、死を客観的に見れるんだ」とも。そのような“生と死がべたつかずにともにある空間”は、日本の伝統的な演劇、たとえばお能には当たり前に存在します。レジさんはもちろんお能にも詳しくていらっしゃいますから、日本の俳優にはそれが期待できると考えてくださったんじゃないかと。


■『神の霧』映像上映 ⇒フランスで『神の霧』を観た人のブログ(

 宮城:レジさんの舞台はものすごく暗い場面が多いので、『神の霧』映像化にあたっては、照明を完全にやり直し、映るぐらいまで明るくして撮影されました。レジさんは今までにこういったことは一切されてこなかったんですが、ついにこの映画が出来たことによって、一個、記録に残ったことになります。
 日本語字幕はありません。簡単なストーリーを書いた日本語の紙をお渡しすることになると思います。5月17日にアンティチュセ・フランス東京でも上映されます。
 ⇒アンスティチュ・フランセ東京「クロード・レジ『神の霧』上映会


 ⇒「ふじのくに⇔せかい演劇祭2013」プレス発表会②に続きます。


※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2013年05月04日 17:45 | TrackBack (0)