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2012年03月19日

【写真レポート】SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭2012」記者発表03/16東京日仏学院エスパス・イマージュ

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演劇祭チラシ

 今年もSPAC・静岡舞台芸術センター(⇒公式ツイッター)で「ふじのくに⇔せかい演劇祭」が開催されます。今年は10カ国による12演目を上演。⇒Web静新 ⇒SPAC公式ブログでこのレポートが採り上げられました(2012/03/27)。 ⇒地方発・世界へ。『ふじのくに→(←)せかい演劇祭』で黒田育世が新作を上演(2012/03/29追加)
 
 昨年は震災の影響でプログラムが次々と変更になりましたが、とても刺激的で決して忘れられない、人生観を揺り動かしてくれるほどの作品に出会えました。2011年の私的観劇ベストテン中の2作品(レビュー⇒)が、昨年の「ふじのくに⇔せかい演劇祭2011」で観たものです。

 静岡生まれの絵本作家スズキコージさんによるポスター原画は、富士山の周りに奇妙な動物(?)が集まって遊んでいるみたい。今年も静岡で未知の世界と邂逅し、初めて味わう感覚、感情に心身を浸してみたいとワクワクしています。

 ●SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭2012」
  2012年6/2(土)~7/1(日)@静岡芸術劇場、舞台芸術公園など
  ・前売りチケット:4月15日(日) 10:00から発売!
   ステージ数が少ないですのでご予約はどうぞお早めに!
  ・『THE BEE』は完売。学生席は4月15日より発売。

 記者発表の写真↓(左から敬称略:黒田育世、宮城聰、アナ・スティースゴー)
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 ※長いレポートですので、写真を目印にして、気になる演目からご覧になってみてください。

■静岡から直接、世界の芸術文化に寄与したい

 宮城「SPAC(スパック)は日本で初めての劇団と専用の劇場を持っている公立劇場として、1997年に実質的にスタートし、今年で15周年になります。早いもので僕が静岡に引っ越して5年が経ちました。最初の10年は初代芸術総監督の鈴木忠志さん、その後に僕が5年やってきたことになります。日本のさまざまな分野での東京一極集中を打破しなければならないというのが、鈴木さんの大きなテーマだったと思います。ひいては日本全体を衰弱させてしまうことだから、脱却しなければならない。世界の芸術文化について日本から貢献したい、それも地方自治体が、東京を通過するのではなく直接世界に対して寄与できないかという、高邁ともいうべき理想をかかげてらっしゃいました。
 昨年から「Shizuoka春の芸術祭」を「ふじのくに⇔せかい演劇祭」という名称に変えました。これもSPAC設立の理念のひとつである、世界の人々に対して一地方が、静岡が、直接世界に寄与できたらいいなという願いをかかげております。東京だけが祖国を背負って、他国の国旗を背負った地域とカウンターパートとして交流するのではなく、日本の中のひとつの地域である静岡が、他国のひとつの地域と交流していく。場合によってはパリやベルリンという大都市だったりするかもしれませんけれども、地域間の、または人と人との交流を活発にしていきたいという願いを込めています。ささやかながら世界の芸術文化に静岡から寄与できればいいなと、そんな夢を抱いております。」

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芸術総監督の宮城聰さん
 

■国旗と国旗ではなく、人と人とが交流するのが国際交流

 宮城「昨年3月11日の震災、そして原発事故があって、6月のわれわれの演劇祭でも他国から訪れてくださる方々が非常に心配されまして、プログラムのさまざまな変更などもありました。しかしその時に痛感いたしましたのは、アーティスト同士の友情で結びついた関係というのは、おいそれと壊れるものではないということ。むしろこういう状況だからこそ日本に居て、静岡で上演したいのだという熱い気持ちをたくさん感じることができました。その時、先ほど申し上げましたように国旗と国旗が交流するのではなく、人と人とが交流するのが国際交流なのだとつくづく思ったわけなんです。
 今年も世界から、そして日本から色んな友人たちが静岡にやってきてくれる。それが今年の演劇祭のおおまかなテーマのようなものです。日本そして世界の友人が静岡に集まってくれることについて、昨年の震災以降つくづく考えたことなんですけれども、演劇や劇場とは、日常に対しての非日常だとされたり、イベントっぽさや事件性があって、演劇は日常の裂け目のようなものとして上演するのだというイメージが、それまでの僕の中に強くあったんです。ところが実際に日常の裂け目のようなものが、自然災害あるいは原発事故という形で目の前に立ち現われてくると、逆に劇場という、アーティストが居る家みたいなものが、静岡という地域コミュニティーの中にずーっとあるということ、みんなが普段忘れている時でも、ずっと劇場というものがあり続けていることに、劇場の本質があるのかなと、ちょうど反対のようなことを感じるようになりました。」

■変わり者が地域に居続けることが、その地域の人々の心を支える

 宮城「演劇をやっている人というのは、単純に言っていまえば、今のシステムになじめない人たちです。今の日本なり、世界なりのシステムにどこか齟齬を感じて、うまく自分にフィットしないな、生きづらいなと感じてる人たちが、演劇人になっていると思います。そういう人たちがいる場所、つまり劇場が、コミュニティーの中にずーっと存在しているということ。このコミュニティーに違和感を抱いている人も、このコミュニティーの中にずーっと居るんだということが、むしろ地域の人々にとって、(生活の)根底をなす安心感を形成する役に立っているのではないかと考えるようになりました。僕は昔から、劇場はかつてのお寺のようなものではないかと申し上げてきました。それと同じことです。
 一般の人たちは今日と同じ明日があるという前提の中で働き、家庭を営んでらっしゃいます。でも演劇というのは一回一回終わってしまう、一回一回滅んでしまう、決して同じことが起こらない芸術です。だから劇場にいる人は、今日と同じ明日があるとは限らない、今日と同じ明日はないんだという前提で生きています。そんな人間がこの地域コミュニティーに、少数だけど常にいるということが、他の人々の心の文鎮(ぶんちん)になっているんじゃないかと、震災後、強く感じました。そんなわけで、SPACという変わり者が住んでいる家に(笑)、友達が遊びに来てくれる。そういうイメージの演劇祭にしたいと思っています。」


【1】SPAC15周年記念作品『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』 ⇒2003年レビュー ↓舞台写真:内田琢麻
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 宮城「2006年にパリのケ・ブランリー国立博物館内クロード・レヴィ=ストロース劇場のこけら落とし公演として、かつての僕の劇団ク・ナウカが上演したものです。『マハーバーラタ』は古代インドの叙事詩で、インド人にとっては教科書のようなもの。いわば聖書のようなものと言っていいのかもしれません。さまざまな知恵や、言語そのものを勉強する教材だと思うんですが、その中のごく一部分に『ナラ王物語』があって、それ自体が『マハーバーラタ』の要約にもなっているという、非常に面白い作りなのです。『マハーバーラタ』を短く要約したものが『ナラ王物語』なんですね。
 平安時代の日本に『マハーバーラタ』がもし伝播していたら、当時の日本人はどのような絵巻物を描いただろうか、という発想で演出いたしました。文化・芸術というのは相互の交流と、お互いが出会うことによる変容によって進歩するものだと、僕は考えます。例えば日本という小さなフラスコの中で純粋に培養されたのが日本の芸術なのではなく、他国のいいものと日本の気候、風土や日本語が出会って、いいとこどりのようにして洗練されていくのが芸術である、世界中の芸術がそういうものだと僕は考えています。インドのジャータカ神話という仏教説話集が平安時代に日本に入って来て、今昔物語の天竺編になりました。それと同じようなことがもし『マハーバーラタ』で起こっていたら、当時の日本人がどうイメージしただろうか、というのがコンセプトです。」


【2】SPAC『ペール・ギュント』 ⇒2010年レビュー ↓舞台写真:橋本武彦
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 宮城「『ペール・ギュント』は僕がSPACに来てから作った比較的新しい作品です。『マハーバーラタ』も『ペール・ギュント』も、自分の出番じゃない時に俳優たちが演奏エリアに行って生演奏をするのが共通するところです。『マハーバーラタ』は僕がク・ナウカでやっておりました、語りと動きを分けるというスタイル。二人一役(ふたりひとやく)と呼んでました。『ペール・ギュント』は言動一致体、すなわち語りと動きを一人でやるスタイルです。まあスタイルというか、つまり普通です(笑)、言動一致の芝居です。
 日本の明治維新、ちょうど近代が始まった頃に、イプセンによって『ペール・ギュント』は書かれました。面白いことに戦前の日本人は同時代の芸術や演劇に、とてもアンテナを貼っていたんですね。だから『ペール・ギュント』も書かれてさほど遅れていない時期に日本で翻訳されています。ところで今は、国会図書館のデータベースがインターネットでダウンロードできるんですね、僕は本当に驚きました!
 『ペール・ギュント』は一人の田舎の青年が一種、“成り上がっていく”お話です。それを日本という近代国家が生まれて、世界というフィールドの中で徐々に“成り上がっていく”、明治から昭和前半までの歴史に重ねてみたのが、僕の演出した『ペール・ギュント』です。」

 ※記者発表後に個人的に質問をしました。
 しのぶ「『マハーバーラタ』と『ペール・ギュント』の出演者オーディションはどうなりましたか?」
 制作「予想よりかなり多くのご応募があり、オーディションの日程を1日間から2日間に増やしました。2作品で約50人の俳優に出演していただくことになりました。」


【3】プレイベント『旅』 ⇒詳細 ↓演目写真:ROBERTO PALERMO
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 解説「自転車に乗った謎の演劇集団がイタリアからやってくる!劇場で行われない屋外ストリート・パフォーマンス。歌、楽器演奏で詩情豊かな世界を繰り広げます。演劇祭プレイベントとしてゴールデンウィークに静岡県内で無料上演。」

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アナ・スティースゴーさん

 演出・脚本のアナ・スティースゴー「来日してまだたった3日間ですが、すでに5か所の上演予定地を見て回りました。掛川の道はとても小さいんです。でも静岡文化芸術大学構内は掛川とは全く違っていて、同じ県内だとは思えないぐらい個性豊か。作品を場所に合わせて作り替えていく作業を楽しんでいるところです。」

 宮城「作品を観た時、イタリア語なので僕には言葉が理解できませんでしたが、ポエジーにあふれていました。若い俳優たちの、観客に直接投げかける訴えというか、自分の気持ちをわかって欲しいという直接的なエネルギーが伝わってきて、しかもそれが暑苦しくならず、風景の中に詩として抽象化されて、残像のように残っていくんです。お客さんも俳優と一緒に移動していくんですが、ひとつひとつの場面が、一枚一枚の絵が、美しいイメージのように目の裏に残っていく作品でした。」

 質問「風景を取り入れる意味を教えてください。場所が変わることで何をしたいのか。」
 スティースゴー「路上で上演することには多くの意図が込められています。3つご説明いたします。
 路上では観客に出会うことができます。それは劇場ではできないことです。イタリアの路上で上演した時、普段は絶対に劇場には行かない方々が私たちのパフォーマンスを観に来てくれました。普段劇場に来ない人を引き込む意図があります。
 また、観客とだけでなく、個人のお宅の庭や家、駐車場といった固有の場所で、そこにゆかりのある方々と出会えます。そのような人との出会いが重要な側面としてあります。
 個人的なことですが、現代社会に生きる人間の傾向として、盲目になっているということがあります。道に出て近所を散歩する時でさえ、視野が狭まっているのではないか。こういった路上パフォーマンスを体験することで、“環境で遊ぶ”、“環境を遊ぶ”、あるいは“自分の目を開く”という体験ができます。
 パフォーマンスの中でジャケットが風船に飛ばされていく幻想的な場面があります。普段見慣れている風景を、普段通っている道をちょっと別の角度から見ることになり、非常に興味深いと思います。そんな風に日常を異化する視点を提供できれば、私たちの試みが成功したことになりますね。」


【4】『おたるどりを呼ぶ準備』 ⇒「黒田育世ロングインタビュー&ルーツ」(2010年)
 ↓過去作品『あかりのともるかがみのくず』舞台写真:石川純
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 解説「昨年のF/T11『何もない空間からの朗読会』でワーク・イン・プログレスの形で発表された作品です。伊丹アイホール、愛知芸術文化センターとの共同制作として静岡で世界初演を迎え、10月末から伊丹、愛知、東京でも上演されます。
 黒田育世さんは2003年に、ダンスカンパニーBATIK(バティック)としてSPACのダンスフェスティバルに参加して、優秀賞を受賞。今回はその時以来となる静岡公演で、BATIKの10周年記念作品でもあります。」

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黒田育世さん

 黒田「タイトルについてご説明します。“おたるどり”は造語です。“踊る”の語源が“おたる”だと聞きました。喜びでも悲しみでも憎しみでも、体が満ち足りた時に自然に体が動き出す。それを昔“おたる”と呼び、時を経て“踊る”になったのだと。それはきっと本当に違いないと信じました。その“おたる”が鳥になって“おたるどり”。
 私は強烈な閉所恐怖症でして、死んだらお棺に入るのも土葬も無理だと思うんです。だから風葬か鳥葬にして欲しい。でも海でおぼれた経験もあるので(風葬ではなく)、鳥葬が合ってると思います。“踊る”の根本の部分である“おたる”が一番あどけなかった時の“鳥”(=おたるどり)が、私の肉をついばんで世界各国に、先ほど宮城さんがおっしゃったように、国旗や国境線も関係なく飛んで行って、色んなところで排泄をして、私の肉が花になったりお野菜になったりして、また皆さんに食べていただけたら。そういう思いで“おたるどり”という造語をつくりました。
 “呼ぶ準備”というのは、先ほど申し上げましたようにお棺に入ったり、体が鳥に食べられてなくなったりして、私は“死”を、体がなくなる時を、いずれ迎えると思うんですけれども、その時まで“おたるどり”という一番あどけない時を呼び続けているような、そんな生き方をするのだと思うんです。私が踊りを始めて体がなくなるまでを、そのまま舞台に作品としてのせさせていただくこと。それがタイトルに込めた意味です。」

 宮城「鳥葬はチベットに行った時に一度見たことがあります。最後は空に、世界に戻っていくんですね。ダンスって重力との付き合いというか、闘いですよね。黒田さんは最後の最後まで重力との付き合いをされていくんだなと思って聞いていました(笑)。
 僕が舞台芸術をやっている根本のエレメントのひとつは舞踏で、舞踏の考え方に非常に影響を受けておりまして。面白いことに、黒田さんの踊りは僕が舞踏と呼んでいるものに、どこか似てるんです。デビューされて間もないころからとっても注目していたので、今回も楽しみです。」

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 質問「4か所ツアーの内、静岡だけが野外です。野外劇場『有度』でやってみたい試みなどはありますか?」
 黒田「公演日程が6月30日、7月1日なので、(梅雨だから)絶対に雨が降ると予想をしておりまして。『花は流れて時は固まる』という作品では舞台面側に流した川にざぶざぶと入る振付で、床がつるつるになってしまって、恐怖の中で踊るような感じだったんです。それをやる覚悟でつくらなければならない。逆手に取れないかと考え、人工芝を使おうかと思っています。すごくきれいな森の中に、人工芝がある。非日常の中のリアル・・・って私が語れることではないかもしれませんが、嘘臭いものに、すごくしびれるんです。・・・好き!って感じになって(笑)。本当の森の中に人工芝を敷いて、嘘くさい何か、リアリティーを訴えるより、もっと無反省な、あどけないことが、できるといいなと思っています。劇場の下見に行ったのですが、口笛を吹いたら鳥がさえずるような、素敵な場所でした。」

 質問「昨年3月11日に起こった東日本大震災を題材にされていますか?」
 黒田「一昨年の12月から考え始めた作品ですので、3月11日から着想を得たわけではありません。3月11日は建物の2階にある喫茶店で構想を練っていました。そしたらすごく揺れて、他のお客さんは一斉に走って1階へ逃げて行きました。あるおばあさんが一人だけ座っていたのに誰もケアしないので、私が『大丈夫ですか?』と駆け寄ったら、おばあさんはカフェオレをずっとスプーンで混ぜてらっしゃって・・・(地震に)気づいていらっしゃらなかった(笑)。『ああ、私もこうありたいな』と思いました。人間にとっては毎日がクライシス、毎日が死ぬ準備のようなものだと思うのですが、それをいかにあどけなく、いかに否定だけに飲みこまれず、踊っていけるか。3月11日は、おばあさまが教えてくだったことがありましたので、制作の途上での素敵な出会いはありました。」


【5】『THE BEE』 過去レビュー ↓(2007年 日本版初演 舞台写真)撮影:谷古宇正彦
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 解説「マスターピースと呼ぶにふさわしい野田秀樹さんの作品です。2006年の英語版に続き、翌2007年に日本版も上演され、その年の演劇賞を総なめ。SPAC芸術総監督の宮城と野田さんとの対談にもあった“公立劇場の横のつながりを広げていく”という試みが今回実現します。ワールドツアーを経て静岡でツアーファイナルを迎えます。」
 ※前売り完売。当日券のみ。学生券は4月15日から発売。

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中央は野田秀樹さん

 野田秀樹ビデオメッセージ「作・演出と、井戸役を演じます野田です。英語版がおととい終わったばかりで疲れた顔をしています(笑)。日本語版は東京、大阪、松本、北九州をまわり、そして静岡がトリになります。海外版の評判が良くて、上演を重ねる内にどんどんクオリティーが上がったので、日本版はハードルが高くて心配ですが(笑)、静岡に行く頃には大丈夫だと思います。
 30年以上芝居をやってきて、自分の作品の中に嫌いなものはないんですが、やはり後から振り返ってみて大切な作品だったとわかるのは数作品あって、『THE BEE』はその内のひとつです。自画自賛ですが、世界に通用する質を持った芝居だと思っています。
 日本の役者さんだけでなく海外の役者さんやスタッフたちがかかわってきた時間が、すべて積み重なって、最後に静岡に到達する。長い、巨大な時間が着陸するイメージです。演劇というのはその翌日にはなくなっている空しい行為ではありますが、前日までは人間のものすごい活力で、精力込めてつくられたものなので、ぜひ観に来てほしいです。」

 宮城「僕が中高一貫の学校の中学1年の時に野田秀樹さんが高校1年で、演劇部の公演をされていて、生まれて初めて観たのが野田さんの演じる舞台なわけですから、野田さんがいなければ今ごろ演劇はやっていなかったので・・・コメントはありません(笑)。」


【6】オリヴィエ・ピィの『<完全版>ロミオとジュリエット』 ↓舞台写真:Alain Fonteray
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 解説「パリのオデオン座芸術監督のオリヴィエ・ピィ演出による、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』です。ピィ自身が原作の韻文をひとつの詩として、可能なかぎり忠実に翻訳した新作で、原作にあふれる奔放なユーモアや猥談を<完全>に上演。“演劇は世界を変える”というコンセプトを宮城と同じくするピィのオデオン座は、SPACに3度目の登場となります。」

 宮城「オリヴィエ・ピィは僕より少し若いんですが、僕にとっては現存するアーティストの中で、非常に影響を受けている演劇人です。彼はたぶん今の世界の演劇の潮流の中では、異色の演劇人だと思います。反時代的な、あるいは時代錯誤的なアーティストだとご自身もおっしゃっていました。
 言葉は俳優の武器ではない。演技とは言葉を聞く行為である。言葉は上から降りてきて人間を変えてしまう神の手のようなもので、俳優が舞台上でしゃべる行為とは、神の業(わざ)を自分自身に受肉する、受けとめるものである。俳優がしゃべるということは、俳優が誰かに影響を与えたくてやることではなく、しゃべることによって俳優自身が変わって行ってしまうことである。彼はそういう演劇観なんです。僕は非常に共感するというか、自分と同じようなことを考えている人がいることに励まされました。
 彼は演出だけじゃなくて本も書くので、既に僕は彼の本を3本も演出しております。今作もオデオン座で観て非常に素晴らしかったので、皆さんに観ていただけることがとても楽しみです。」


【7】『ライフ・アンド・タイムズ―エピソード1』 ↓舞台写真:Reinhard Werner-Burgtheater
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 解説「“あなたのライフストーリーを教えて”と言われて、16時間しゃべり続けた女性の語りを、一語一句残さず歌詞にして舞台化。全エピソードが完成すると24時間におよぶ大作になるそうです。『ライフ・アンド・タイムズ―エピソード1』は、語り手の幼少期を再現したお話で、誰もが幼いころに経験したおぼえのある些細な大事件を、ありのままの日常を、歌い上げます。それだけで感動を呼ぶユニークな作品が、日本初上陸します。」

 ※記者発表後に個人的に質問をしました。
 しのぶ「ごく普通の生活をミュージカルにした作品のようですが、どんな魅力があるのですか?」
 宮城「半径1.5m以内の極狭い、狭い世界の、本当にたわいのない話なんです。日本だと『ちびまる子ちゃん』が近いかも(笑)。アメリカのブルックリンでつくられた作品で、特に美男美女が出てるわけではないけれど、配役が絶妙なんですね。
 首都圏のゼロ年代の若い演劇人は“観客はきっとわかってくれるだろう”と思って、いわゆる狭い世界を描く作品を作っている。実際、首都圏の観客はそういう作品に共感する人も多いでしょう。でもこの作品の作り手たちは“誰にも伝わらないだろう”と思って作っている。“もしかしたら外国にはわかる人もいるんじゃないか・・・”ぐらいの気持ちで。それをパワフルに歌いあげて、実際に世界に通用するレベルの作品になっているんです。だから日本の若い演劇人にぜひ観てもらいたいです。」


【8】『春のめざめ』 ↓舞台写真:Marc Vanappelghem
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 解説「コロンビア出身でスイスで活動するオマール・ポラスは、SPACと縁の深いアーティストの1人で、今回で9度目のSPAC登場となります。昨年は震災の影響で来日予定メンバーが渡航を断念する中、1人で来日を敢行。SPACとともに16日間で作品を再構成して上演し、体ひとつで演劇ができることを証明しました。
 ポラスの『春のめざめ』は昨年11月に初演された新作で、ヨーロッパツアーを経て日本に初上陸します。ブロードウェイや劇団四季でのミュージカル版も有名なドイツ戯曲を、魔術的な演出でお楽しみください。」


【9】『キリング・フィールドを越えて』 ↓(C)TheatreWorks (Singapore)
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 解説「カンボジアの伝統的影絵や映像を使って不条理な時代の真実を描く、重たい内容の作品です。宮廷舞踊の踊り手を主人公に、苦難の記憶を舞台化。キリング・フィールドとはポル・ポト政権下の刑場跡の俗称で、出演者はみんなポル・ポト政権の弾圧から生き残った人たちです。アジアの注目演出家オン・ケンセンが構成・演出を手掛け、ドキュ・パフォーマンスと呼ばれる独自の手法で重要なテーマを描きます。古典表現と映像表現の融合も見どころです。」

 ※記者発表後に個人的に質問をしました。
 しのぶ「ポル・ポト政権の圧政の事実を描く演劇を、なぜ今、日本で上演するのですか?」
 宮城「僕はまず、日本人に観てもらいたい作品を招聘したいと考えています。いい作品だとわかっていても、他のフェスティバルではタイミングや話題、時期など色んな理由で呼ばれないことがある。そういう時にSPACで呼べたらと思っています。」


【10】『アルヴィン・スプートニクの深海探検』 ↓舞台写真:Marc Vanappelghem
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 解説「オーストラリア注目の鬼才、ティム・ワッツによる驚異のソロ・パフォーマンス!温暖化のため滅亡寸前となった地球で、再愛の妻の魂を追って旅に出たアルヴィン・スプートニク。やがて深海探検の大冒険が始まります。手書きアニメーションと指人形、歌唱、ウクレレの演奏に生身の演技など、すべて1人でこなすファンタジックなパフォーマンスです。“高予算のブロードウェイ大作を凌ぐ興奮!”と評された作品が、静岡で日本初演を迎えます。」


【11】映像『スカラ=ニスカラ ―バリの音と陶酔の共鳴―』

 解説「55分間の映像作品です。バリ島のトランス祭祀や儀礼は、アルトナン・アルトーをはじめ様々な芸術家に影響を与えており、現代演劇を理解する上で不可欠な存在と言っても過言ではありません。」


【12】音楽演奏『ソウル・オブ・ソウル・ミュージック』

 解説「古くて新しい韓国伝統文化を伝えてくれる2人の演奏家が、ソウルから来日します。古典楽曲に加えて現代的な要素を加えた新曲も披露。多くのアーティストを魅了してきた神秘的な空間・楕円堂で、悠久の音楽を体で感じてください。」


■質疑応答:5年間の活動の成果について

 質問「宮城さんが静岡で5年間活動されてきて、具体的に世界とつながったことで、結果として地域にどんな影響を作りだすことが出来たのか教えてください。」
 宮城「5年間の具体的な成果というと口はばったい感じがしますが、たぶん以前は静岡でアーティストになりたいと思った若者は、ほぼ全員東京に行ったと思うんですね。でもその必要はないんじゃないかというのが僕の考えです。静岡ではサッカーのたとえをするとわかりやすいんですが、世界で活躍するサッカー選手になりたいと望む静岡在住の少年は、静岡のチームに入って次に進むことを考えるんです。でも芸術では、若くて芸術的な野心があふれてくると、若者は東京へ行っちゃうと思うんですね。でもこの5年間で少しずつ、静岡に居たままアーティストになれると考える子供は増えていると思っています。高校生ぐらいの子どもが、何も東京に行かなくていいじゃないかって思ってる。」

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宮城聰さん

 質問「高校ごとの鑑賞会も実施されていますね。」
 宮城「SPACがなければ一生劇場に来なかったような子供たちが、SPACの芝居を観に来てくれています。今SPACでは、学校に演目のメニューを提示して『入場無料でご招待します、バス代も補助します』と言って、県内のいろんな地域から学校単位で観に来てもらってるんです。
 芝居はテレビに比べるとはるかに複雑ですから、子供たちは面白かった、泣いた、笑ったという単純な言葉ではなく、『なんだかよくわからなかった』という感想を持つ。でも帰りの彼らの顔をみると、間違いなく興奮しているんです。来た時は劇場に全く興味がなさそうで、やる気もなく、パンフレットは必ず丸めて棒状にして頭を叩く道具にするし(笑)。本当に、毎回必ずするんです、人間の本能なんでしょうかね(笑)。でも劇場を出る時には、興奮して顔を紅潮させて帰っていく。そういう様子を見てると、面白かった、泣いた、笑ったという言葉の引き出しに入れられないからこそ、言葉にできないからこそ、その体験は薄いあざのように体の中に残って、きっと心の奥底で、何がしかを考えるんじゃないか。一生に一回ぐらいは。彼らの帰りの様子を見ると僕はそれを信じられる。形になるのは20年後だと思います。でも着実に何がしかの種が蒔かれているという感じがします。」


■しのぶよりひとこと

 SPACの演劇祭の記者発表に伺うのは4度目です(過去エントリー⇒)。毎年同じ時期に、同じ東京日仏学院でSPACの演劇祭の取材ができることが、私にとって、とても、とても大切なことだったのだと、やっと気づきました。昨年の震災と原発事故、そして個人的なことですが2月の体調不良と、自分の人生と生活を再設計せざるを得ないことが起こり、心の底から「これからどうなるかわからない」と思ったからなのでしょう。
 宮城さんはじめSPACのスタッフ、俳優の方々、そして壇上のアーティストの皆さんが、いつもどおりの“変わり者”で居続けてくださっていることを、嬉しく、ありがたく思いました。この記者発表も私にとってはお寺へのお参りのようなもので、SPACを観劇することは教会での礼拝と同じなのかもしれません。でも堅苦しい気持ちは抜きにして、わくわくドキドキを求めて静岡に行きたいと思います。


※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2012年03月19日 22:39 | TrackBack (0)