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Shinobu's theatre review
しのぶの演劇レビュー
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REVIEW

2013年11月05日

Doosan Art Center Produce・東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』10/01-26Doosan Art Center Space111(韓国・ソウル)

 10月25日~27日の2泊3日でソウル観劇旅行に行ってまいりました。お目当てはこの公演。チェーホフ作『かもめ』を韓国人のソン・ギウンさんが脚色し、日本人の多田淳之介さん(東京デスロック)が演出されます。出演は日韓の俳優です。しかも舞台を1930年代の日帝時代の朝鮮に移し替えるというチャレンジングな企画で、私的には必見だったんです。約1か月ものロングラン公演だったおかげで、千秋楽のマチネに滑り込めました。

 ⇒舞台の動画(5分間)が観られます。

 東京デスロックらしい演出を堂々とやりきり、直近数十年の日韓の歴史をヒット曲によって浮かび上がらせます。さらには人類の現在、未来をもあらわす素晴らしい作品でした。
 多田さんが韓国で初めて韓国人と創作されたのは2008年の『ロミオとジュリエット』。その年の私の小劇場ベスト3にランクインした作品で、2009年にはキラリ☆ふじみでの日本公演がありました。『カルメギ』も日本公演がどうか実現しますように!

 多田さんのブログ⇒「ソウルにて、つれづれと。 」 
  ↑私も最近感じてたことが書かれています。作り手にも観客にもおすすめです。

 【写真】劇場入り口。ドゥサンという財閥が運営する新しい劇場です。
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 ⇒韓国サイト「ニュースカルチャー[カルチャーフォト]日本人演出家が描いた植民地時代知りたい場合は…演劇“かもめ”
 ⇒韓国サイト「K-POP流れる日帝時代に飛んできたチェーホフ "かもめ"」(多田淳之介さんインタビュー)
 ⇒韓国サイト「EDAYLY・多田淳之介さんインタビュー
 ⇒産経新聞「歴史と現在踏まえ、未来を考えてほしい 舞台「カルメギ(かもめ)」演出 多田淳之介さんインタビュー
 ⇒トゥギャッター「東京デスロック+第12言語演劇スタジオ 『가모메 カルメギ』

 【注】
 ・タイトルの『가모메』は、『かもめ(The Seagull)』の日本語発音をハングルで表記したもので、「カモメ」と発音します。対してカタカナの日本語タイトル『カルメギ』は『かもめ(The Seagull)』の韓国語で、韓国語発音をカタカナで表記しています。
 ・登場人物の名前は朝鮮名と日本名ですが、このレビューではわかりやすくするためにチェーホフ作『かもめ』の登場人物名を使います。
 ・字幕なしで観劇したので、誤読、事実誤認などは多数あると思います。

 ≪あらすじ≫ 劇団公式サイトより
 植民地朝鮮の1936年の夏
 新しい芸術を求める文学青年リュ・ギヒョクは、田舎の伯父チャ・ヌンピョの家で暮らしながら戯曲と小説を書いている。ギヒョクの母でありながら女優でもあるチャ・ヌンヒは、 東京から日本の小説家、塚口次郎と共にギヒョクのところへ訪れる。
 ある日の夕方、ギヒョクは家の近くにある湖でソン・スニムを主人公にした自分の戯曲を公演するが、ヌンヒと観客の反応に失望し、公演を中止してしまう。それから数日後、ギヒョクは自分が愛しているスニムが、塚口と近い関係になっていくことに気づき、苦しみながら自害事件を起こしてしまう。
 リュ・ギヒョクとソン・スニム、塚口とチャ・ヌンヒの四角関係のほか、『カモメ』のさまざまな人物の間にさまざまな愛の感情が生まれる。そして彼らに戦争の影が近付いてくる。
 ≪ここまで≫

 ステージを2方向から挟む対面客席で、中央に大きな白い木枠がそびえており、どちらから観てもプロセニアムになる美術です。「これは演劇(虚構)です」という宣言とも受け取れます。舞台上には古びて廃品のようになった家具などが、ところ狭しと転がっています。木製のイス、洋服ダンスに混ざってブラウン管テレビ、ノートパソコン、さらには千歯扱きのような古道具も見つけられます。それらの間を埋めているのが無数の新聞紙です。韓国の新聞にまじって日本の新聞もありました。ピンク、緑、青などのカラフルな色彩を思い切って使う照明の力は大きく、舞台は軽々と時空を超えました。後述するK-POPなどの現代曲を使う演出も効果的でした。

 【舞台写真 (劇場公式サイトより)】
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 四幕喜劇である原作『かもめ』のように、この作品もきちんと4つの幕に区切られている印象を受けました。第1幕は自然な会話劇で物語設定と登場人物を紹介、第2幕ではこのお芝居特有のあるルールを見せて観客に理解を促し、第3幕ではそのルールに加えてぶっ飛んだ演出が続出、そして第3幕と第4幕の間で物語上に大きな事件が起こり、最終幕ではその数年後が描かれます。※四幕劇になっているというのは私の個人的解釈で、実際どうだったかはわかりません。

 『かもめ』の舞台を1930年代の朝鮮に置き換えて、登場人物を朝鮮人と日本人にし、それを日韓俳優によって上演すること自体が面白い上に、有名古典を材料にして現代を批評する作品になっていたのが素晴らしいです。日本による一方的な加害の歴史を経て、日本と韓国の間には1945年から2013年まで約70年の時間が流れました。その間の日韓の文化交流をポップスや歌謡曲で振り返り、過去と現在の日韓両国を舞台上に並立させて、さらには日韓から世界へ、未来へと広げていく演出になっていました。今、韓国人と日本人がともに作る、そしてともに観るお芝居として非常に意義のある作品だと思います。
 多田さんのご厚意で、観劇前に構成前の脚本を読ませていただきました。ソン・ギウンさんの脚色戯曲が多田さんの演出によって立体化される際に、どれほどドラスティックな変更が行われているかを知ることができました。地点の三浦基さんが「演劇は批評行為である」という意味のことを、過去のインタビューでおっしゃっていたように記憶しているのですが、この作品でもそれを確認できました。

 トレープレフの伯父ソーリンを演じたクォン・テッキさんの演技に見入りました。時が経つごとに老衰していくのを繊細に表現されていて、何も語らず、ただ歩いているだけで加齢がわかりました。
 夏目慎也さんがある韓国語を発すると、必ず笑いが起こっていました。そのセリフの意味は「聞いてますか?」だったそうです。韓国語の発音が日本人っぽくて、意味が意味なだけにおかしいんでしょうね。

 【写真】リーフレットとパンフレット(約400円)。パンフレットには舞台写真がふんだんに。戯曲も一部掲載。
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 ここからネタバレします。

 時は1930年代、場所は日本に支配されていた時代の朝鮮、ソウル近郊の田舎です。湖畔には朝鮮人と日本人が集まります。トリゴーリンとメドヴェジェンコはこの物語では日本人です。また、医師ドールンの助手の看護師(女性)も日本人です。朝鮮人は朝鮮語と日本語を解し、日本人はほぼ日本語しか話せません。ドールンはエスペラント語も話せる知識人で、時々エスペラント語の会話も出てきます。
 トレープレフを除く多くの朝鮮人は、内地(主に東京)にあこがれを抱いています。原作のモスクワに当たるのが東京というわけです。登場人物の削除・追加もありました。宿の管理人シャムラーエフの妻ポリーナの代わりに、彼の長女エギョン(マーシャの姉)が登場します。エギョンはドールンに恋していますが、ドールンには助手兼恋人の日本人看護師がいます。

 時代と場所の変更以外で私が注目したのは2点です。1つ目はニーナが妊娠しないこと。原作のニーナはトリゴーリンとの間に子供をもうけたけど死なせてしまい、トリゴーリンにも捨てられて1人で女優を続けていきます。実家に居続けて小説家になったトレープレフに比べたら、ニーナの方がずっと大人です。でもニーナがトリゴーリンとの恋に破れただけになると、トレープレフの自殺の原因はほぼ失恋だけに絞られることになります。それだと物足りない気がしていたんですが、多田さんの演出によって、若い2人の間にある問題が恋愛だけに矮小化されることはありませんでした。
 2つ目はトレープレフの自殺(服毒自殺)を舞台上で演じることです。原作では銃声だけが聞こえて、トリゴーリンに彼の自殺を伝えるドールンのセリフで終幕します。でもこの作品では、トレープレフは舞台上で苦しみながら死に、ドールンのセリフはカットされていました。韓国の演劇に詳しい方にお聞きしたところ、韓国ではトレープレフの自殺を舞台上で見せることが多いそうです。これには驚きました。

 【舞台写真 (動画のスクリーンショット)】
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 一番初めに、間野律子さんが登場します。現代のカジュアルな服装で、首にはおしゃれなヘッドフォンをかけていて、幼い少年のよう。そこに黒いチマチョゴリを着た女性マーシャが登場します。現代と過去が交わる奇妙な時間が流れます。やがてマーシャを追いかけてメドヴェジェンコ(日本人)が登場し、2人が会話するのを少年は不思議そうに眺め、そのまま劇を外側から観察する者として舞台上に居続けます。後からやってきたドールンと看護師(日本人女性)らとトレープレフが会話をしている間も、少年は静かに見守っていますが、一人芝居を上演するために走ってやってきたニーナとトレープレフが湖岸で出会った時に、突然トレープレフから話しかけられて、劇中の登場人物ヤーコフへと変身します。現代の少年が『カルメギ』の世界を体験していくという枠組みがはっきりしました。ここで字幕に『カルメギ』の文字。オープニングです。

 そういえば、間野さんが客席に向かって「こんにちは、私は朝鮮の少年ミョギです」と韓国語で自己紹介する数分間がありました。「発音からすると日本人だけど、彼女は朝鮮人の少年なのだ」と、観客は理解します。間野さんは劇を俯瞰する視点と、日本人でありながら朝鮮人であるというフィクションを、終始保ち続ける特殊な役どころとして存在し続けます。彼女が動く度にそこに込められた意図を探りたくなるため、常にある程度の緊張感を保ちながらの観劇になりました。

 このように、脚本を変える(または意味を付加していく)演出が非常に面白いんですよね。たとえば、前半の見せ場のひとつであるニーナの一人芝居は、なんと全てカット!これは衝撃的で…爆笑してしまいました(笑)。でもアルカージナはじめ周囲の人々の心無い反応にトレープレフが絶望したことは、ニーナが登場する前にたっぷり表現されていたので、展開上は問題なし。いやはや痛快でした。

 先述した、このお芝居特有のあるルールとは、俳優の動線です。舞台への出ハケが、ある1方向のみに制限されているのです。私が座った方の客席から見た場合、下手手前から上手奥へと進みます。どんな人物も下手手前から登場し、上手奥にハケて、次も必ず下手手前から登場するのです。流れ的におかしくても、そのルールは徹底されます。2005年の『ニセS高原から(三条会組)』でも採用されていましたね。一直線の道や円環を想像させるので、時間の経過、生きて死ぬまでの人生、輪廻転生、同じことの繰り返しなどが自ずと頭に浮かび、『カルメギ』の物語と融合していきます。

 やがてその動線を逆行する人物も出てきます。上手奥から下手手前へと逆に進むと、時間の逆行やそれを望む登場人物の感情など、自ずと意味が付加されます。たとえば第4幕で東京から帰国したニーナが上手奥から出てきた時、彼女は「昔に戻りたい、あの日に帰りたい」と思っていただろうし、トレープレフが最初の自殺未遂をした時に逆行したミョギ(朝鮮の少年)は、「この劇が始まった時、トレープレフがニーナと恋仲で幸せだった時に戻りたい」と思っていたでしょう。ミョギはさらにもう1度逆行したシーンがあったように思います(たしか徴兵された時かと。うろ覚えです)。

 【舞台写真 (劇場公式サイトより)】
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 動線のルールを示したのが第2幕だとすると、それ以上に突拍子もない演出が飛び出すのが第3幕だと言えます。なんとトリゴーリンが白いスーツにスパンコール付きの赤い蝶ネクタイをして、マイクを持って登場。まるでちんどん屋さんみたい(笑)。手にはCDショップで買ってきたのであろう若い女性K-POPスターのCDと、おまけのポスターが入ったビニール袋を持っています。トリゴーリンがパチンと指を鳴らして合図をすると、流行中のK-POPが流れ出し、彼はマイクを通してニーナを口説きます。その他にもiPhoneなどの現代の道具が出てきて、観客はぐっと親近感を持つとともに、意外性に驚いて、時には笑います。

 多田演出といえば現代のポップスを多用するのも特徴なんですよね。『カルメギ』ではK-POP、韓国ラップ、Perfume、「百万本のバラ」(加藤登紀子)、韓国ドラマ「冬のソナタ」主題歌などが流れました。「百万本のバラ」は“女優に恋をする”ので『かもめ』にばっちりフィットですね。「冬のソナタ」は別れ話を切り出したトリゴーリンを、アルカージナが強引に説得する場面で流れ、客席は多いに沸きました。『かもめ』が古典名作だとしても、大女優と若いつばめの恋は、大衆に受け入れられた恋愛メロドラマと大差ないですよね。楽曲によっては韓国語版と日本語版の両バージョンが使われており、この数十年間の日韓の文化的接点や交流を思い起こさせます。

 K-POPファンであることを観客に知らしめ、何かしでかしてくれる人物となったトリゴーリンが、大声で大演説をぶちます。「昔、内地と朝鮮は同じ国も同然、兄弟みたいな仲だった」「我執を捨てれば、新しい視野が広がる」「小我の愛ではなく、大我の愛」「「私」ではなく「我々」、そして「我々」の拡張」など。そのちょうど裏側では同時にシャムラーエフが、同じく大声でこう語っていました。「新道が通ったまでは良かったが、堤防があの様では水なんか入れられない」「今年は日照りで凶作。あの工事を中断したせいだ。途中で放り出したんだからひどい。元通りにできないし。」「何度苦情を言っても「シカタナイヨ、シカタナイ」と言われる」と。能天気な日本人と地に足のついた暮らしをしている朝鮮人が対比されました。

 【舞台写真 (劇場公式facebookページより)】
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 第3幕と第4幕の間に起こったのは、戦争です。上手奥から登場したメドヴェジェンコ(夏目)が旭日旗を手に持ち、ミョギに拳銃を持たせる場面は空気が凍りついたようでした。日本人が朝鮮の少年を“志願兵”として徴兵していったんですね。この時のメドヴェジェンコは、上手奥から動線に逆行する形で登場していたと思います。世界(=ルール)を壊す者が現れたという意味でしょうか。
 ※多田さんにうかがったところ、旭日旗の使い方についてはかなりの議論を要したそうです。
 
 出兵したミョギをはじめ、湖畔から移動する人が出てくると、登場人物全員による追いかけっこが始まりました。皆、下手手前から上手奥へと走り抜け、また下手手前から登場して走り出します。順番は朝鮮から日本へ行くアルカージナとトリゴーリン、トリゴーリンを追うニーナ、そしてニーナを引き止めたいトレープレフ、トレープレフを愛しているマーシャ、マーシャと結婚するメドヴェジェンコ…と続きます。他のグループは、日本人看護師と同行するドールンと、愛するドールンを追いかけるエギョン(ポーシャの変形)。狩りで獲物を追って走るソールン、シャムラーエフの姿もありました。
 本気で走っているように見えるので、その追いかけっこをコメディーとして楽しむ観客も多くいました。爆笑が起きたのは、ニーナを必死で追っていたトレープレフの目の前で、上手奥の劇場の扉が急にバタン!と閉じられて、彼だけ置いてきぼりにされたところ。私と反対側に座っていた観客は、壁を叩いてジタバタするトレープレフを見て笑っていたと思います。私はというと、美術の柱のせいで彼の姿が見えなかったのもあってか、とても悲しい気持ちになっていました。トレープレフが母親に去られ、恋人に捨てられ、自分だけ都会に行けずに田舎に閉じ込められたからです。扉が乱暴に閉まるのはいい演出だと思いました。

 第4幕でトレープレフは麦わらの帽子をかぶり、新聞を拾い集め始めます。ちょうど私の目の前にあった日本の新聞には「北朝鮮の武装化」と、「日本の非核三原則(の形骸化)」について大きく取り上げられていました(おそらく)。新聞とは歴史の集積であり、ゴミのように捨てられ、忘れられた/忘れられていく過去を象徴していると思います。トレープレフはその過去のかけらたちを、農夫が作物を収穫するように籠の中に入れていきます。歴史をひとつずつ振り返り、確認していくようでした。トリゴーリンが言っていた「朝鮮の赤い土の中には無限の未来を開く豊富な地下資源だけでなく、過去二千年の歴史と文化が眠っている」ことを、彼は自分で調査・研究して発見していったのではないでしょうか。

 【舞台写真 (劇場公式サイトより)】
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 やがて老ソールンを見舞うために、人々が湖畔に戻って来ます。トレープレフは下手の端っこにいながら、彼らをじっと観察しはじめました。朝鮮人女性が日本の着物を着ています。メドヴェジェンコ(日本人)と結婚させられたマーシャは黒いチマチョゴリではなく、紺色の地味なかすりの着物、ピンク色のドレスを着ていたアルカージナは、黒地にきらびやかな模様の入った留袖です。トリゴーリンも一緒になって、小説家になったトレープレフの噂話をしており、アルカージナは「これからは、内地語でだけ、ものを書く時代が来るかもしれないよ」と言い出します。彼らを無言で見守るトレープレフの表情に、憐れみと悔しさが見て取れました。トレープレフは歴史を知り、朝鮮を知り、人間を見つめ直したのだと思います。この演出のおかげで私は、彼が小説家になれたことに納得できました。

 トレープレフがたった一人でいるところに、派手な色使いでペラペラの生地の貧相なドレスを着たニーナが、マイクを持って上手奥から登場します。赤い蝶ネクタイをして、マイクを持ってしゃべっていたトリゴーリンに似ています。彼女は軽薄な日本に染まってしまったんでしょうね。「私は、かもめ。翼を傷めたかもめ。でもいつか、私はまた舞い上がるわ。」と言うニーナのドレスには、腰下まで垂れ下がった白い羽が付いていました。
 トレープレフの切実な思いが通じることはなく、ニーナは東京に向かって上手奥へと去り、彼は服毒自殺をします。舞台中央であえぎ苦しむ中、銃声が響きました。彼は悶えながら鳴り続ける銃声に反応し、まるで見えない銃弾に打たれているよう。本当は自殺だったけれど、彼はいろんなものに殺されたんだと思いました。ニーナに振られたからだけではなく。

 トレープレフの死後、下手手前から次々と人々が出てきて、舞台に横たわり死んでいきます。倒れずに上手奥へと歩いていく人は、まだ死んではおらず、再び下手手前から現れ、ぐるぐると歩き続けます。まずはソールンが老衰で死亡。兵士姿のミョギが、銃の連射の音が聞こえる中、死亡。上海に行ったドールンと看護師も早いうちに亡くなります。メドヴェジェンコは終戦時に死んで、その妻マーシャは長く生き残っていました。たぶんニーナが一番長生きだったように記憶しています。※メドヴェジェンコの死亡年は後から多田さんに聞きました。
 
 【舞台写真 (劇場公式サイトより)】
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 人々が歩いて死んでいく時、字幕に西暦年が出る演出があったそうなのですが、私が観た回は、「1945」というテキストが映写機のエラーで表示されないハプニングがありました。私には誰がいつ死んだのか見当がつかず、ゆっくりと歩いていく『カルメギ』の登場人物は、私の中で“人類”を象徴する人々へと変化していきました。そのおかげで遠い遠い未来、何万年も先の地球を想像できました。横たわっていた俳優が再び立ち上がり、全員が上手奥へと去った後、誰もいなくなった舞台はしらじらとした照明に照らされて、虚空を感じさせました。その時、ニーナの一人芝居のセリフが私の中に蘇ってきたんです。「人も、獅子も、天空を舞う鷲も、そして太古に生きた恐竜も、大鳥も、麒麟も、一角獣も…(略)一切の生きとし生けるものは、悲しい命のめぐりを終え、消え失せた」。その無の世界が、目の前に示されたように思いました。数千、数万世紀先の、静まり返った地球。闇。

 …と思っていたら、現代のカジュアルルックに着替えた俳優たちが、下手手前からぞくぞくと登場しました。字幕には2013年とあります。ラヴェルの「ボレロ」が流れていました。そして爆撃の音も。「ボレロ」といえば繰り返しです。2013年の今も戦争は続いていますから、人類の愚行の繰り返しをあらわしたのだと思います
 ※「ボレロ」には旋律が2つしかないことから、日本と韓国をあらわしてるという解釈もあるそうです。

 カーテンコールの時、俳優はみんな現代服を着ていました。間野さんが登場した最初の場面、つまり今、ココに戻ったように感じました。


【韓国/ソウル公演】2013年10月1日(火)~26日(土)Doosan Art Center Space111
【出演】 チャ・ヌンヒ(アルカージナ):ソン・ヨジン〈コキリ(像)マンボ〉 イ・ジュング(シャムラーエフ):イ・ユンジェ〈第12言語演劇スタジオ〉 チャ・ヌンピョ(ソーリン):クォン・テッキ 御手洗(メドヴェジェンコ):夏目慎也〈東京デスロック〉 塚口次郎(トリゴーリン):佐藤誠〈東京デスロック〉 イ・エギョン(原作には登場しないイ・ジュングの姉(マーシャの姉)・ポリーナの変形):オ・ミンジョン〈シンギル・マンファギョン(蜃気楼・万華鏡)〉 ドクトル・カン(ドールン):ホ・ジョンド 看護婦いさ子(ドクトルの助手・恋人):佐山和泉〈東京デスロック〉 ミョギ(朝鮮の少年・現代の少年):間野律子〈東京デスロック〉 イ・エジャ(マーシャ):ジョン・スジ〈第12言語演劇スタジオ〉 ソン・スニム(ニーナ):キム・ユリ〈ノルタン〉 リュ・ギヒョク(トレープレフ):ホ・ジウォン
原作: アントン・チェーホフ「かもめ」 脚色・協力演出:ソン・ギウン 演出:多田淳之介 制作:Doosan Art Center 主催:Doosan Art Center、カルメギ・プロジェクト 協力/助成:セゾン文化財団、東京デスロック、第12言語演劇スタジオ 後援:Doosan、韓国文化芸術委員会
チケット代はおそらく一般30,000ウォン。学生割引などあり。
東京デスロック「カルメギ」公式:http://deathlock.specters.net/karumegi/index.html
劇場公式:http://www.doosanartcenter.com/space111/perform.asp?pfmcGbn=Past&pfmcYear=2013&idx=55
playdb:http://www.playdb.co.kr/playdb/PlaydbDetail.asp?sReqPlayNo=52899
インターパーク:http://ticket.interpark.com/Ticket/Goods/GoodsInfo.asp?GoodsCode=13009365


※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2013年11月05日 13:34 | TrackBack (0)